坂野耕雨書 蘭亭序


高精細画像で見る

 「永和九(353)年」から書き起こしたこの書は王羲之が蘭亭に名士41人を招いて曲水の宴を行い、その時の詩集の序として書かれたもので、王羲之の真蹟は伝来していないとされ、その写しが伝えられ、28行324字が書かれている。耕雨は十二行に蘭亭序324字を纏めている。末尾に「王右軍蘭亭帖唐太宗所命諸遂良令雙鈞者存在人間数百本就中宋賈平章所蔵本廼媚動健定武石刻本予陳直斎蔵版無小異右臨之以属猪瀬君好古之應」、続けて小字で「應属誤所」とあり、末尾に「安政四年歳在丁巳重陽後二日友人耕雨坂野福」と書かれている。
 本資料は1857(安政4)年に耕雨が猪瀬豊城の需に応じて書いたもので、文中に書き入れや塗りつぶしも見られるところから草稿として手元に置いていたものであろう。
 猪瀬豊城、その子猪瀬東寧とは坂野耕雨、行斎が交流し、行斎が編集した『月波楼遺稿』には「耕雨先生讀書楼図 通家子東寧猪瀬」とあって、坂野家を見渡した景観図を描いた。
 
蘭亭序             王羲之
永和九年歳在癸丑暮春之初會 于會稽山陰之蘭亭脩禊事
也群賢畢至少長咸集此地   有崇山峻領茂林脩竹又有清流激
湍暎帶左右引以爲流觴曲水  列坐其次雖無絲竹管弦之
盛一觴一詠亦足以暢叙幽情  是日也天朗氣淸惠風和暢仰
觀宇宙之大俯察品類之盛   所以遊目騁懷足以極視聽之
娯信可樂也夫人之相與俯仰  一世或取諸懷抱悟言一室之内
或因寄所託放浪形骸之外雖  趣舎萬殊靜躁不同當其欣
於所遇蹔得於己怏然自足不  知老之將至及其所之既惓情
隨事遷感慨係之矣向之所   欣俛仰之閒以爲陳迹猶不
能不以之興懷況脩短隨化終  期於盡古人云死生亦大矣豈
不痛哉毎攬昔人興感之由   若合一契未甞不臨文嗟悼不
能喩之於懷固知一死生爲虚  誕齊彭殤爲妄作後之視今
亦由今之視昔悲夫故列    叙時人録其所述雖世殊事
異所以興懷其致一也後之攬  者亦將有感於斯文
                        (28行詩)
 
解説: 守屋 正彦(筑波大学教授・博士(芸術学)) 2017.9
 
目録を見る

坂野家美術品一覧を見る