朝川善庵書 三行書


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 朝川善庵(名は鼎、字五鼎、1781-1849)は江戸で佐藤一斎と並称された儒学者で、文化12年(1815)に伊豆に清国船が漂着した際、筆談で応答したことなどが知られる。その善庵が「丁酉十月」すなわち天保8年(1837)10月に「阪野耕雨氏」すなわち坂野耕雨(1803-62)に贈った漢詩であり、半切の画仙紙に細身の線、縦長の字形の楷書で揮毫し、落款「朝川鼎書」に「朝川鼎印」白文印と「五鼎氏」朱文印を捺す。
 「天下無難處之事如之何、如之何、只消得両頓熟思。世間無難處之人彼人也、我人也、須要三番自反」と記すが、これは明代末期の書画家陳継儒(号眉公、1558-1639)が処世について記した『小窓幽記』巻一の「天下無難処之事、只要両個如之何。天下無難処之人、只要三個必自反。」を踏まえたであろう。また「彼人也、我人也」は唐の韓愈(768-824)の「原毀」によったであろう。ともあれ「天下に処しがたきの事無し、これを如何せん、これを如何せん、ただ消し得たり両頓の熟思。世間に処しがたきの人無し、彼も人也、我も人也、須らく三番の自反を要すべし」と読み下せ、両度の熟思と三度の自省を説くものである。
 善庵は嘉永2年(己酉、1849)に逝去したが、耕雨が詠んだ長編の「己酉二月十日善庵先生挽歌」が『月波楼遺稿』27丁表(耕雨遺稿十八丁表)に所収されている。
 
解説: 森岡 隆(筑波大学教授・博士(芸術学)) 2019.3
 
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