梅痴書 七言律詩 「耕雨亭席上詩」


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 本幅裏面の上巻(うわまき)に坂野家12代行斎(1821-93)の筆跡で「嘉永丁未歳弘経寺梅癡上人耕雨亭席上詩 行齋藏」と記されているが、「丁未」は嘉永改元前年の弘化4年(1847)である。数年後の軸装の記述とて元号を誤ったのであろう。ともあれ、本紙にしたためられた「七月廿六日暁起過耕雨亭途中 梅癡道人」のとおり、同年7月26日、弘経寺67世の梅痴(1793-1858)が早起きして耕雨亭を通りがかったときに詠んだ漢詩で、同亭での席上で披露したものであることがわかる。詩僧梅痴が結城から飯沼の同寺に移ったのは弘化3年11月であり(『水海道市史』年表)、転住後すぐに坂野耕雨(1803-62)と親交を結んだことがわかる。
 この七言律詩は「晨欲早出水之東。爽路桑麻暁藹籠。竹裏人家猶在夢。娟々(けんけん)鷺立碧荷風。竹樹頓深露氣濃。吹薫十里稲花風。野煙纔散朝暾(とん)上。人在明珠翠綱中」で、「早朝に川の東に渡ろうとしたところ、道には朝もやが立ちこめている。里の人はまだ眠っているようだが、鷺が飛び立ち、みどりの蓮を風が渡る。竹や樹木には露が生じてひんやりとした気配が漂い、稲の花も風に揺れる。朝日の中、野に立つ煙が纔(わずか)に散る」と早朝のすがすがしさを謳う。終句「明珠翠綱」は「明珠翠羽」を踏まえた造語であろうか。
 なお梅痴は小蓮主人や笑誉などとも号し、引首印と落款印に朱文の「小蓮」と「笑誉」を捺す。白文落款印の「秦冏(しんけい)」は名である。
 
解説: 森岡 隆(筑波大学教授・博士(芸術学)) 2019.3
 
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