秋場桂園書 「種福」扁額


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 儒者秋場桂園(名は祐、字元吉、1813-95)が、緑系の半切紙(約135cm×約36cm)を二分して横に用い、隷書で「種福」二字を揮毫したものである。落款は「桂園祐時齢六十有九」で、「十」の横画を右から「ノ」のごとく書く形として「六」からそのまま続けているが、69歳すなわち明治14年(1881)の書であることを示す。その下には「祐字元吉」白文方印と「桂園」朱文方印を添える。
 「種福」の「福」は、坂野家第11代当主坂野福すなわち耕雨(1803-62)のことと解せる。水海道村出身の桂園は耕雨と親しく、安政5年(1858)に鷲津毅堂(1825-82)らと四人で催した「月波楼連句」などが遺るが、耕雨の後継行斎(1821-93)の古稀を祝した「行斎阪野君古稀寿言」もあり、生涯坂野家と文墨の交わりがあった。その桂園が、坂野家代々の弥栄もすべて耕雨に発するとの思いでしたためたのが、この「種福」であろう。「種徳」と同様に福を世に布(し)き行うこととも解することができ、「禍は福の種、福は禍の種」といった諺も想起される。日々そのような心得を念じ、扁額用に供したと察せられる。
 なお「福」の旁上部を「白」のような形にしているが、典型的な隷書の美を示す後漢の曹全碑などにも見られるものであり、学書の確かさが窺える。右上に「世事供高臥」白文引首印を捺すが、これは杜甫詩「屏跡」に「幽事供高臥」とあるのを踏まえたのであろう。
 
解説: 森岡 隆(筑波大学教授・博士(芸術学)) 2019.3
 
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