山本琴谷画 幽谷佳人図


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 画中右下に「庚申春日写以為 耕雨雅兄 琴谷人」の墨書、白字方印で「山本謙印」「子譲」と名と字が捺印されている。これにより、本図は坂野耕雨のために描かれた、いわゆる為書きである。
 これにより庚申年の春、安政7(1860)年に描かれたものと解釈できる。前年11月は安政の大獄により、橋本左内、頼三樹三郎、それに吉田松陰が斬首された年であった。耕雨にとっては師である梁川星巌も大獄の捕縛対象者であったが、その直前にコレラを罹患しており死亡した。妻の紅蘭はこの時に捕らえられたが、翌年に釈放されている。
 山本琴谷(1811-1873)は津和野藩士吉田芳右衛門の子で、江戸に出て、画を桜間青崖、渡辺崋山に師事した。師の崋山は蛮社の獄で閉門蟄居の身となり、天保12(1841)年10月に自害した。琴谷はその後、高久靄崖、椿椿山に学んでいる。耕雨の収蔵している絵画には谷文晁・立原杏所・渡辺崋山・巻菱湖・大窪詩仏・桜間青崖等と関係が深い。尊攘思想の流れをくむ絵師。耕雨の琴谷への依頼はそのような意図が背景にあったと思われ、梁川星巌への思いを託した絵画となっている。
 本図は春蘭を紅蘭とし、背後の竹を星巌と考えると、竹は高節、高い信念を言い、背景から妻である紅蘭を見守るように描かれたと推論でき、この緊迫した時局で描いた画題と解釈できる。
 
解説: 守屋 正彦(筑波大学教授・博士(芸術学)) 2017.9
 
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