梁川星巌書 七言律詩「月波楼詩」


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 江戸後期の漢詩人梁川星巌(名は孟緯、字公図、1789-1858)が絹本に揮毫した七言律詩「何須避世向墻東。屋背樓成可置躬。鬼怒灘聲来枕上。月波山翠落窻(窓)中。一陂珠白芙蓉露。千頃雲黄䆉稏風。好是勸農餘力在。玉牙萬軸斂全功」で、明治21年(1888)刊の『月波楼遺稿』の「寄題諸篇」の冒頭に「寄題坂野大来書樓」の題で収められている。達筆で行書に若干の草書を交えるが、玉池吟社を主宰した漢詩人とはいえ、稲の名とされる「䆉稏」(䆉の音「ハ」、稏の音「ア」)など難解な語を含む。
 終行「寄題 阪野大来賢契書楼 星巌梁偉」では「阪野」の上を欠字として耕雨への敬意を表すが、『月波楼遺稿』では「坂野」に改められ、年少の友に用いる敬称「賢契」も省かれている。落款で姓を「梁」一字とするのは漢詩人らしい修姓表記で、「臣緯」白文印と「梁氏公圖(こうと)」双龍朱文印を添える。
 冒頭に捺された朱文引首印「萬壑(ばんがく)松風」の「松」は「木」「公」を上下に組んだ「枩」がよく用いられるが、この印では旁「公」の下に「木」を配した形とする。なお、この上にウ冠を加えた「梥」も「松」の異体として知られる。ともあれ「萬壑松風」は南宋の僧介石智朋(かいせきちほう)の「恵山煎茶」と題する七言絶句の第三句(転句)「萬壑の松風、一啜(いっせつ)に供す」(谷々から吹き上げ渡る松風を聴きつつ茶を喫する)に発する語とされ、水墨画の画題ともなってきた。坂野耕雨(1803-62)に贈る詩幅の冒頭にふさわしい語と言える。
 軸装裏面の上巻(うわまき)に耕雨が「星巌先生月波樓詩」と行草で記した裂が外題として貼付される。収納箱の差し込み蓋の表にも同語が端正な隷書で記されているが、これは行斎(1821-93)の書と見てよい。行斎が隷書を得手としていたことは、古稀の所感をしたためた七言絶句からも窺えよう。
 
解説: 森岡 隆(筑波大学教授・博士(芸術学)) 2019.3
 
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