宮澤雲山書 七言律詩「題月波楼」


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 宮澤雲山(名は雉、字神遊、1781-1852)の「題月波楼」(月波楼に題す)という七言律詩「愛此無何寂寞郷。暫抛百事好徜徉。髙人倒屐迎藜杖。詞客傾杯卸錦嚢。水送清聲来臥榻。山呈秀色落吟床。這中自是饒真樂。品畫評書到夕陽」で、明治21年(1888)刊の『月波楼遺稿』の「寄題諸篇」で梁川星巌(1789-1858)の漢詩に次いで収められている。
 本幅ではこなれた行草体で五行に揮毫するが、「丁未」は弘化4年(1847)、「小分龍日」は陰暦の4月20日であることから「六十八翁雲山澤雉」となるが、宮澤の「宮」は脱字ではない。光明皇后の天平16年(744)の臨書とされる「楽毅論」で「藤三娘」(とうさんじょう、藤原不比等の三女)と記され、平安初期の勅撰三漢詩集で小野岑守(みねもり)が「野岑守」と記されるなど、古くから中国風の姓に倣った例が知られるが、江戸時代は本姓菅波の菅茶山(1748-1827)など、漢詩文に通じた者の修姓が通行し、雲山らも同様である。
 雲山と坂野耕雨(1803-62)は、この漢詩の第四句「詞客傾杯卸錦嚢」や終句「品畫評書到夕陽」のとおり、杯を傾けつつ書画を品評したり、詩を披露し合ったのであろう。白文引首印「半醉斎印」と、落款に捺された白文印「酒城閽者(こんしゃ=門番)」も、剃髪後の号「酒肉頭陀」(頭陀は僧のこと)のとおり雲山が酒仙であったことを示すが、末尾には大和古印風の「雉印」朱文印が添えられている。
 
解説: 森岡 隆(筑波大学教授・博士(芸術学)) 2019.3
 
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