間中雲帆書 「贈耕雨坂野兄」詩


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 漢詩人間中雲帆(うんはん、名は宜之、字禎卿、1818-93)が坂野耕雨(1803-62)に贈った漢詩を揮毫した一幅で、やや右上りの行草体で「知我者君知君者我。何人把筆此情寫。交到爾汝二十秊(年)。終始如一恩永荷。既為通家況同調。豈是黄金一朝交。乃父遺訓記在耳。總角之好協漆膠。追随花晨与月夕。酒間商略経世策。俯仰古今悲何堪。號哭或發狂妄癖。大度能容君与桂。忠告裁我以時勢。嗚呼交遊雖多面交耳。我非君而誰託子孫田園之計」を七行に書く。八句目の「漆膠」は「膠漆(こうしつ)の交わり」の語があるとおり「膠漆」が一般だが、にかわと漆を入れ替えて「漆膠」と記したものも散見される。
 脇に「贈耕雨坂隷臺 政」と記すが、「贈」をやや下げ「耕雨」を行頭に配している。「隷臺(台)」は「台隷」のことだが「台僕」と同様で、耕雨に侍る意を示す。また「政」は「正」と同じく「ただす」であり耕雨に批正を請うが、敬意を表し欠字としている。落款「辱交雲颿間中宜之拝具」の「辱交」は交わりを辱(かたじけな)くするという謙譲の意。
 引首印は「三餘堂」白文印で、冬(年の余)と夜(日の余)と陰雨(時の余)を大切にした読書家であったことが窺える。落款印は「間中宜之」朱文印と「禎卿氏」白文印だが、後者の印の「氏」は猪瀬東寧(1838-1908)画「淡彩赤壁図」の「如心氏」朱文印の「氏」と酷似している。雲帆と東寧は近在で交流のあったことが知られることから、両者とかかわる同一刻者の可能性を指摘しておきたい。
 この漢詩は明治21年(1888)刊の『月波楼遺稿』の「寄題諸篇」にも所収され、「総角之好(よしみ)」すなわち幼時からの20年に及ぶ親交が記されるが、雲帆の「帆」が同義の「颿」で記されているのは本作と同様ながら、題は「贈耕雨坂野兄」とされ、第五句が「既為通家比同胞」に、終句は「而」が省かれて「我非君誰託子孫田園之計」に改められている。なお、この詩に和したのが坂野耕雨書「次韵和間中雲帆見寄之作」詩である。
 
解説: 森岡 隆(筑波大学教授・博士(芸術学)) 2019.3
 
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