大沼枕山書 「耕雨亭歌贈大来坂野君」詩


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 大沼枕山(名は厚、字子寿、1818-91)の七言を主とした二十四句から成る長い漢詩で、行書に草書を交えつつ「春雨一番及時降。膏澤被野土脈融。神農之事従此始。龍骨車鳴陂水通。翁則把鉏媼則犁。夫須隠見烟霧濛。水渾泥(「深」脱)及腰膂。悪草刺足流血紅。力田匪懈忘疲倦。仰天只望西成功。農家農家苦復苦。稼穡艱難豈終窮。夫君世為邑大姓。亭名耕雨在勸農。耕耨朝々莫遑處。行餘學文省我躬。君不見乃祖辛勤多如此。子孫淫逸自成風。日飲無何評女色。説到稼穡耳如聾。有手不把犁與鉏。一年強半在城中。耕雨之亭良有以。稼穡艱難示児童」と六行にしたためた後、第七句で脱した「深」を小さく添える。脱字の場合、ふつう当該箇所に小さな点を打つが、当該箇所である二行目半ば下の「水渾泥」の左下には虫損の痕が残るのみ。虫損はその上下10cmほどの等間隔に見え、旧軸装のときのものであることがわかる。
 末行に「耕雨亭歌贈 大来坂君」と添えるが、坂野耕雨の字「大来」の上を欠字として耕雨に敬意を表し、「坂君」は修姓表記。その下の落款「枕山厚」には「子壽氏」白文印と「熙堂仙史」朱文印を捺すが、「熙堂」は枕山の別号「熙熙堂」による。引首印は「枕山生」朱文印。
 本作には年紀がないが、安政己未(安政6年、1859)刊『枕山詩鈔』巻之上に「庚子」すなわち天保11年(1840)の作として「耕雨亭詩為阪野大来」の題で所収されており(20丁表裏)、その年の揮毫と見てよい。ただ、この詩集では第三句の「従此始」が「自茲始」に、第十八句の「淫逸」も同義ながら「淫泆」に改められている。が、第八句「悪草刺足流血紅」の「刺」を別字の「剌」としたのは誤りである。枕山が序文を寄せて明治21年(1888)に刊行された『月波楼遺稿』の「寄題諸篇」にも「耕雨亭歌贈大来坂野君」の題で所収されるが、上記『枕山詩鈔』と同様であり、この詩集を転載したものとみてよい。
 本作には旧軸装の裏面の上巻(うわまき)の墨付箇所も遺るが、「大沼枕山寄耕雨亭古詩 月波楼藏」としたためた筆跡は耕雨である。
 
解説: 森岡 隆(筑波大学教授・博士(芸術学)) 2019.3
 
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