- 七言律詩「幽居雜吟」
- 梁川星巌書
「星巌先生似余之書 行齋所(藏)」の墨書に「行齋字大年」朱文方印を捺した旧軸装の裏面断片が遺るとおり、江戸後期の漢詩人梁川星巌(名は孟緯、字公図、1789-1858)が達筆の行草体で揮毫した「幽居雜吟」と題する七言律詩に「録して坂大年老契に似(おく)る」と添えて、坂野家12代当主行斎(1821-93)に贈ったものである。「坂野」を「坂」としたのは修姓表記だが、その上を欠字とし、門下で年少の行斎に対しても旧友の意の「老契」を用いて敬意を示している。
四行目(六句目)では誤脱した「与」を当該箇所に小さく添えるが、「浮名世利日奔忙。唯見幽居氣味長。風約花香帰醉枕。月搖竹影落吟牀。不従人之性骨肉。羞与鬼爭燈下光。竪坐横眠聊復爾。了然物我兩相忘」と読める。星巌には多くの漢詩集が遺るが、管見ではこの詩は見当たらない。ただ、二句目の「幽居氣味長」は、南宋の陸游(1125-1209)の五言律詩「閑中楽事二首其二」の二句目をそのまま引いたもので、その詩の四句目には本作初句の「奔忙」の語も含まれる。また七句目の「竪坐(しゅざ)横眠、聊(いささ)か復爾(しか)り」は『続伝灯録』巻一の「横眠竪坐」を踏まえたものであろうし、結句の「了然物我兩相忘」は、南宋の道士白玉蟾(はくぎょくせん)の七言律詩「淡庵倪清父」の二句目を用いたものであるなど、星巌の造詣の深さが窺える。
詩の内容は「栄利を求めて日々奔走する、そのような俗世間を避けて静居するのも一興。風が約(むす)び花が香る中を帰り、酔いに任せて眠ったり、竹影が月光に揺れる中、寝床で詩を口ずさんだり。人の心や体に従わず、灯火のもとで幽鬼と争うことを恥じるが、起居して眠る、まあそんなところ。物我一如、外界の一切と自己の境目もつかない境地である」といったところであろうか、まさに幽居である。
落款「孟緯」に「梁孟緯印」白文印を捺すが、修姓で「梁」一字としたため、名の「孟」と「緯」の分割を避け、反時計回りに印文を配した回文印としている。その下は号と字(あざな)の「星巌圖書」朱文印。朱文引首印は『梁川星巌全集』第一巻(梁川星巌全集刊行会、1956年)の印譜に所載され、編者伊藤信(1887-1957)により「美人香艸」と読まれる。尾川明穂氏の教示によれば、細井広沢(1658-1735)著で没後の宝暦8年(1758)に上梓された『万象千字文』で初字「美」は確認できるものの、三字目は同書では「白」ないし「魄」となる。が、「香」の異体に「白」の下に「ム」とした「㿝」があることから、「香」と解してよかろう。なお「美人香艸」は、楚の屈原の作とされる長編詩「離騒」(「離」は遭う、「騒」は憂えで、憂えに遭う意)を典拠とする語のようで、『大漢和辞典』では「美人を君王に比し、香草を君子に比してゐるので、後、其の文を美人香草の辞といふ」と記す。
解説: 森岡 隆(筑波大学教授・博士(芸術学)) 2019.3
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