間中雲帆書 四言二句


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 間中雲帆(うんはん、名は宜之、字禎卿、1818-93)が聯落ちの画仙紙に「上能尊君、下能愛民」(上よく君を尊び、下よく民を愛す)をしたためたもの。初行末字の旁は正当なくずし方ではないが、「能」と見てよい。これは『荀子』臣道編の「上則能尊君、下則能愛民」を引用したものだが、「七十一翁雲颿題」の落款から明治21年(1888)の書と知る。同年には『月波楼遺稿』が刊行され、雲帆の「贈耕雨坂野兄」詩も収載されたが、そのような経緯の中で揮毫したのかもしれない。豪快な書だが、特に「愛民」を行頭に大書しており、名主を務めた雲帆の信念が示されているように思われる。
 なお、引首印は朱文楕円の「雲颿」だが、上記いずれも同様で、馬偏に「風」の字で「帆」としている。落款印は、四辺を輪郭線で囲った漏白辺式の「間中宜之」白文方印と「雲帆生」朱文方印だが、後者は「雲」の下を「帆」船が進むさまで楽しい印である。
 なお間中雲帆については、富村登(1886-1964)の著で没後の昭和40年(1965)に刊行された『常総の漢詩人』に略伝が収められている。
 
解説: 森岡 隆(筑波大学教授・博士(芸術学)) 2019.3
 
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