亀田鵬斎書 七言絶句四首


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 儒学者で、「鵬斎は越後帰りで字がくねり」という川柳に象徴される独特の草書でも知られる亀田鵬斎(ぼうさい、名は長興また興、1752-1826)が、自製の七言絶句四首を揮毫した四幅である。右から、①「空巌寒水自悲吟。遙夜何人為賞音。此日團欒都聴得。它時雖索試追尋。亀田興」、②「寒水𥻘々受晩風。軽[舟刀]□来思無窮。何妨也向鷄南去。徙倚空林暮靄中。亀田興」、③「風簷雪屋淡無情。巧作寒窓静夜聲。倦枕覺来聴不断。相看渾欲不勝情。興」、④「老木繆枝入太陰。蒼崕寒水斷追尋。千年粉壁塵埃底。誰織良工獨苦心。鵬齋」とみな厳寒を詠じた詩であり、いずれも行書を主としつつ草書も交えるが、連綿はなく三行にまとめている。書風や行構成も同様であることから同時作と見てよく、いわゆる押絵貼屏風用に揮毫したかと察するが、意図した排列は判じ難い。
 引首印は、①別号の「善身堂」、②と④が「關東第一風顚生」、③「酒隱」だが、「隱」は阜偏と「心」を省いた省文となっている(草野剛氏の教示による)。落款印は、①名の「長興之記」白文印と「鵬齋」朱文印、②「麹部尚書」白文印、③「長興之記」白文印と「海東涓人(けんじん)」朱文印、④「鵬齋」朱文印と「金杉老鈍」朱文印。「長興之記」と「鵬齋」の印は二度捺されるが、その他は適宜別印を用い、趣向を凝らしている。
 揮毫年代だが、鵬斎は江戸市中で転居を重ね、享和元年(1801)50歳のときに下谷金杉に移り住んだことが知られるが、老鈍の語も加えられた「金杉老鈍」印の使用からして、60歳以降のものであろう。ともあれ、工部尚書をもじったであろう「麹部尚書」印には遊び心が窺えるが、「酒隱」印とともに酒仙であったことを示し、「關東第一風顚生」印からも伝えられる生涯が察せられる。
 
解説: 森岡 隆(筑波大学教授・博士(芸術学)) 2019.3
 
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