喜多武清画 藤森弘庵賛 聖賢図


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 本図は江戸時代後期の南画家喜多武清(1776-1857)による聖賢図で、制作年は画中に「行年七十八可庵武清筆」とあることから推定できる。この年は内憂外患、3月にはペリーが浦賀に、7月にはロシアのプーチャーチンが長崎へと来港して通商を求めている。本図の制作の時期は明らかでないが、菊から重陽の頃と解すると描かれた背景に時代気分を考えることになろうか。喜多武清は谷文晁の高弟で、文晁の画塾写山楼に学ぶ。寛政8年(1796年)には、文晁に随行して関西に古社寺調査を行い、松平定信が主導して編纂した『集古十種』に絵師として加わっている。古典の名画を写して『武清縮図』とし、また数多くの粉本や縮図に記録するなど学究的な性格であった。
 弾琴する聖賢、その手前に童子が菊を挿した水瓶を置いている。この絵に対して、画中上部に「秋英清晩節/瓶裏賞以加/典尓山河改/無由種此花」と読める。「秋英」はコスモス、「瓶裏」は瓶中を言う。坂野耕雨は経学、いわゆる儒学を学んでいる。本図はこの賛によって、弾琴を好んだ孔子を描いて、花を題として、生き方をただす姿勢を問うたものと解する。
 賛は藤森弘庵(1799-1862)による。
 
擧世忌孤寒        擧世 孤寒を忌み
薄俗不我與        薄俗 我と與にせず
俯仰天地間        俯仰す天地の間
青山獨可語        青山 獨り語るべし
琹則對山横        琹(琴)則ち山に對して横たえ
茶則對山煮        茶則ち山に対して煮(せん)じる
 録舊製為行斎坂君     行斎坂君の為に旧製を録す
 天山真逸(印)
 
 弘庵は土浦藩の儒者で、藩校郁文館の創立に関与し、藩主土屋氏のもとで朱子学の普及をはかった。おそらくは耕雨が儒学の象徴として、聖賢図を考案に求めたと解釈できる。
 
解説: 守屋 正彦(筑波大学教授・博士(芸術学)) 2017.9
 
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