高久隆古・福田半香・小池池旭ほか画 脇床天袋色紙図


高精細画像で見る


高精細画像で見る

高久隆古
 江戸後期の画家。奥州白河生。本姓は秦、通称を斧四郎、字は述而、別号に梅斎・無々道者等。初め谷文晁門下依田竹谷に南画を学び、のち京都に上り、渡辺清・浮田一蕙に大和絵を学ぶ。白河藩主阿部氏の命により高久靄厓の家を嗣ぐ。安政5年(1858)歿、59才。
 
福田半香
 江戸後期の南画家。遠江見附生。本居宣長の門人福田真直の子。名は佶、字は吉人、通称を恭三郎、別号は暁斎・磐湖・暁夢・松蔭山房等。はじめ掛川藩の絵師村松笠斎に、のち江戸に出て匂田台嶺、渡辺崋山に画を学び、山水を能くした。元治元年(1864)歿、61才。
 文化元年7月2日(1804年5月25日) - 元治元年8月23日(1864年9月23日))は、江戸時代後期の日本の南画家である。名前は佶(きつ)、字は吉人、通称は恭三郎。初号は盤湖、半香は後に付けた号で、別号に暁夢。渡辺崋山の高弟で、崋山十哲の一人。
 
 本図はおそらく耕雨邸に滞在したときに描いたものであろう。同時期に高久隆古、福田半香が色紙に描いている。漁夫図には画中に「癸丑秋七月無々道者隆古」とあり、驟雨図には「癸丑晩夏半香生写」とある。記録がまだ確認できないが、天袋には百聞老人、小池池旭の色紙も貼られている。百聞老人は明らかでないが、池旭は大沼枕山の妹である。大沼枕山は耕雨の詩を集めた『月波楼遺稿』の中で「耕雨亭歌贈大来坂野君」とあり、また遺稿の冒頭、序において「余毎遊下總以翁為藤堂主人而受厚眷」とあるので、おそらく、この時期に枕山と同道し耕雨宅に逗留したものであろう。
 
解説: 守屋 正彦(筑波大学教授・博士(芸術学)) 2017.9
 
目録を見る

坂野家美術品一覧を見る