- 養生語
- 小山霞外書
小山霞外(1785-1864)が連綿を交えて「穀氣勝元气、其人肥而不壽。元氣勝穀氣、其人痩而壽」と揮毫するが、書家らしく「勝」「其人」や「穀氣」「元氣」など同じ字を行書と草書で書き分け、変化をつけている。一見、同様の行書に見える「壽」もくずしの程度が異なり、豪快な書のようでありながら、緻密な配慮が看取される。特に「氣」は四度のこととて、「气」も用いているが、これは気構えのみとした「氣」の省文(略字)というより、「氣」と通用の漢字「气」と解するべきである。
読み下しは「穀気元気に勝つは、其人肥して寿(ひさ)しからず。元気穀気に勝つは、其人瘦て壽(いのちなが)し」となるが、これは李昉らの編で宋の太平興国8年(983)に成立した『太平御覽(ぎょらん)』疾病部二に所収される養生語。日本でも『遐年要抄』人倫部痩人不寿第六など、養生書の類に収められており、霞外はそれを揮毫したであろう。
別号霞翁を記した落款「壬戌春日七羞有八齢霞翁」では「十」に音通の「羞」を用い、恥じ入る七十八年であったとするが、「羞」の「丑」が「心」の草体となっており、「羞恥」の「恥」の旁と混同したのかもしれない。ともあれ、「争坐位文稿」節臨と同大、同質の用紙でもあり、同じ時に揮毫したことがわかるが、その下に捺した「東野麴道士」白文方印の東野(とうや)は下野国東部のことで霞外の出身地。また麹は酒の意で、酒を擬人化して麹道士などと呼ぶことがあった。霞外も酒仙であったのであろう。
なお、白文引首印は「踞虎豹登虯龍」と読めるが、これは北宋の詩人蘇軾(1036-1101)が、元豊5年(1082)7月の「前赤壁賦」に続き、10月に詠んだ「後赤壁賦」に記された「虎豹に踞(きょ)し、虯龍(きゅうりょう)に登る」(虎や豹の形をした石の上に腰かけたり、龍のように曲がりくねった木に登る)の語句である。
解説: 森岡 隆(筑波大学教授・博士(芸術学)) 2019.3
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