秋場桂園書 七言絶句「潮来竹枝」


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 儒者秋場桂園(名は祐、字元吉、1813-95)が隷書を得意としていたことは「行斎阪野君古稀寿言」や「種福」額からも窺うことができるが、本作も半切の画仙紙(134cm×35cm)に自詠の漢詩「醉游舟接夜漁舟。人語櫓聲帶月流。春岸知他多蜃氣。潮煙淡裡認紅樓」を一字一波の隷書で揮毫したものである。その下の題「潮来竹枝」と落款「桂園」は右上りの行草体で記すが、「竹枝」とは楽府(がふ)の一体で、七言絶句の形式を用い、その土地の風俗などを民謡風に詠じたものとされ、潮来(いたこ)節で知られる茨城県南東部の水郷潮来を詠んだものと知る。
 なお「知他」の「他」は助詞で「知らんや」と読む。よって詩意は「酔客が乗った舟と夜漁の舟が行き交い、人の語らいと櫓を漕ぐ音が月とともに流れる。この春の水辺に、蜃すなわち大蛤が気を吐いて楼閣が現れることを知るまい。ほら、水しぶきが揺れ動く中に、朱塗りの楼閣が出現したよ」といったところであろう。
 白文引首印の「鶏肋」は鶏のあばら骨で、役には立たぬが捨てるには惜しいもの、あるいは体が弱く小さいことのたとえとされる。白文落款印二顆の下は「桂園」だが、その上の印は「左蠶右絹」(草野剛氏教示)。「蠶」は「蚕」と同義であり、かつて蚕養川などと表記された小貝川のこと、「絹」は絹川つまり鬼怒川のことと解せ、「左」すなわち東の小貝川と「右」すなわち西の鬼怒川の間に位置する水海道に桂園が居住していたことに因むものである。
 
解説: 森岡 隆(筑波大学教授・博士(芸術学)) 2019.3
 
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