小林蔵六画 桜鶯図


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 鶯は梅の咲くころに人里にあらわれることから、古典では紀貫之の娘が清涼殿の梅が枯れた折に詠った「鶯宿梅」が画題となり、一般的には梅に鶯として最も知られた花鳥画の画題である。
 桜に鶯については「古今和歌集」巻第二春歌下(108)に、桜と鶯について次のように歌われている。「仁和の中将の御息所の家に、歌合せしける時に、よみける」として藤原後蔭が「花の散ることやわびしき春霞竜田の山の鶯の声」とある。龍田の山の桜花散るのを惜しみ、鶯が、その声が、侘びしく鳴いていると意訳できる。古今集には春歌にほかにも桜と鶯がうたわれているので、和歌を画題にしたとも解釈できよう。
 また、『源氏物語』二十三帖に花の宴があり、光源氏は春をお題に詩を作り、人々を驚かしたとされる。この時、源氏は雅楽で「春鶯囀」をまい、これが源氏絵では華やかな桜の場面に描かれることから、後世には桜に鶯の画題も花鳥画として描かれものであろう。
 絵は桜花の咲く一枝が右上から左へと描かれ、その枝に鶯が止まり鳴いている。まさに「春鶯囀」を画題としてよい。画中右下に「蔵六謹画(印)」と墨書がある。
 小林蔵六(1837-1878)は幕末から明治時代にかけて活躍した水海道出身の画家で、椿椿山、山本琴谷、福田半香に学んでいる。字(あざな)に子益。号は友竹居を名乗る。妻玉潤も画家である。蔵六は漢詩を秋場桂園に学んでおり、桂園と耕雨の交流から坂野家に本図が収蔵されたものと解釈できる。
 
解説: 守屋 正彦(筑波大学教授・博士(芸術学)) 2017.9
 
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