小林玉潤画 墨梅図


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 常総市の大楽寺境内にある小林蔵六(名は朋、字士益、1837-78)の墓誌には「妣」すなわち妻安と「継配」すなわち後妻玉潤(名は鶴、1851-77)が記されている。安が文久元年(1861)逝去後に玉潤を迎えたが、その玉潤も「明治十年四月一日没享年二十七」で蔵六より先に逝った、夭折の画家であった。37歳で他界したとの説もあるが、蔵六没後ほどなくの明治12年(1879)11月に子の小林源兵衛が建てた墓誌に誤記はないと思われ、むしろ「享年二十七」を「三十七」と誤読した可能性があろう。
 本作は玉潤が半切の紙2枚に描いた墨梅図で、落款「玉潤女史」と「玉潤游戯」朱文印も同様ながら、玉潤に二幅対の意図があったか否か、賛や落款の位置から左右は判じ難い。が、二幅対で掛ける場合は、上掲のように月を右に配したほうが、画面が明るく見えるようである。この満月を背景に梅花が描かれた幅には「暗香浮動月黄昏」と行草体で記されるが、これは北宋の詩人林逋(りんぽ、林和靖とも、967-1028)の「山園小梅」と題する七言律詩の第四句であり、梅の香気が闇の中に漂っているさまをイメージして描いたことを知るが、満月を上方ではなく画面中央に配したところが玉潤のセンスであろう。
 「一華天下春」としたためた幅は、墨の濃淡を効かせつつ多様な筆のタッチで一気に仕上げたように見えるが、この賛は、禅僧永明延寿(ようみょうえんじゅ、904-975)の撰で建隆2年(961)に成った『宗鏡(すぎょう)録』卷三十一や、天童正覚(しょうがく、1091-1157)すなわち宏智(わんし)禅師の語録『宏智禅師広録』所収の「一華開天下春」によったもので、梅などの開花にとどまらず、禅の悟りの境地にもたとえられる。
 
解説: 森岡 隆(筑波大学教授・博士(芸術学)) 2019.3
 
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