大沼枕山書 阿累歌


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 漢詩人大沼枕山(名は厚、字子寿、1818-91)が全紙サイズの画仙紙に揮毫した「手中之鎌眀如月。頭顱帶血江底落。怨魂飛出魚腹裂。天陰雨濕夜深黒。燐火碧燃枯荻洲。雲裏有物哭啾々。雨鬂蕭々痩欲青。鬼也一目見人羞。絹水東流去不返。惡縁千劫磨難盡。沙頭今挂如鎌月。髑髏無聲泥満眼」という七言十二句で、ともに白文の「大沼厚印」「子寿氏」落款印が捺されている。なお「子寿氏」印は「耕雨亭歌贈大来坂野君」詩にも捺されている。
 この「阿累(おるい)歌」と題する詩は、枕山没後の明治26年(1893)に娘嘉年(嘉禰とも)が刊行した『枕山先生遺稿』に収められているが、若干の異同がある。第九句の「絹」が「綃」、十一句の「挂」が「掛」となっているのは同義ながら、第四句の「深黒」が「蕭索」に、六句の「雲裏有物」が「隔雲何物」に、七句が「鬒髪鬖髿形太痩」に、九句の「去不返」が「蹤不泯」に、十一句の「沙頭」が「髙岸」に、終句の「満眼」が「裏没」に、各々改められている。同書には「嘉禰校」と記されるが、枕山自身が本作揮毫後に改めたものと思われる。
 不気味な内容だが、これは元禄3年(1690)刊の『死霊解脱物語聞書』に収められ、以後、歌舞伎や文楽、明治に入ると初代三遊亭円朝(1839-1900)による落語の怪談噺や講談などで流布した、いわゆる「累(かさね)が淵」の話を踏まえた漢詩である。枕山は、この下総の「絹水」すなわち鬼怒川にまつわる悲話に感じるものがあったのであろう。
 
解説: 森岡 隆(筑波大学教授・博士(芸術学)) 2019.3
 
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