猪瀬東寧画 淡彩赤壁図


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 黄州に左遷された北宋の詩人蘇軾(1036-1101)が、元豊5年(1082)7月と10月の二度訪ねて「前赤壁賦」「後赤壁賦」を詠んだ赤壁は、後漢末期の208年に呉の孫権、蜀の劉備の連合軍と魏の曹操の古戦場として『三国志』に記された赤壁とは異なるとされるが、この両賦を受け、長江に面した湖北省の断崖景勝地を画題とした文人画が多く描かれてきた。
 下総豊田郡出身の画家猪瀬東寧(名は恕、字如心、1838-1908)もその一人で、縦長の画面の中、長江の流れを淡墨で水平に描くことにより、垂直に近い断崖が強調されている。また松や隠遁者の顔などにわずかに朱を施し、印影三顆とともに朱のアクセントとなっている。
 左上の賛「明治壬辰秋日寫於超光騰霧樓東寧瀬恕」のうち「超光騰霧楼」は晩香堂とともに自宅の楼号・堂号で、明治25年(1892)秋に自宅で描いたものと知る。「明」を篆書由来の「朙」の形でしたためるが、唐の顔真卿や宋の蘇軾・米芾(ふつ)らの書にも用いられたものであり、東寧の学識が窺える。その下に捺された落款印は、修姓による「瀬恕之印」白文方印と、字の「如心氏」朱文方印だが、後者の印の「氏」は間中雲帆(1818-93)書「贈耕雨坂野兄」詩の落款印「禎卿氏」の「氏」と酷似している。東寧と雲帆は近在で交流のあったことが知られることから、両者とかかわる同一刻者の手になったものかもしれない。
 画面右下には遊印として「清心地以消俗慮」白文長印が捺されるが、この語句は清代の画家沈宗騫(しん・そうけん、1736-1820)の『芥舟(かいしゅう)学画編』巻二・山水の立格の項で「心地を清く、以って俗慮を消す」と記されるもの。格調高い絵とするための四道のうちの第一に挙げられたものだが、東寧はおそらく明治12年(1879)刊の和刻本で学び、自身の心構えとしたのだろう。
 
解説: 森岡 隆(筑波大学教授・博士(芸術学)) 2019.3
 
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