高橋泥舟書 「吾妻楼」扁額


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 幕末の幕臣にして槍術家で、勝海舟(1823-99)、義弟山岡鉄舟(1836-88)とともに「幕末三舟」と称される高橋泥舟(でいしゅう、1835-1903)は名政晃、通称精一、字寛猛(ひろたけ)。初唐の虞世南(558-638)の孔子廟堂碑風の書法、すなわち虞法による整った楷書と、泥舟独特の草書というまったく異なる書風で知られるが、本作は縦52cm、横135cmの聯落ちの画仙紙に豪快な草書で楼号「吾妻楼」を大書し、「泥舟逸人書」としたためた扁額である。が、この楼は特定し得ない。
 右上に引首印として捺された白文長印の「濳静以養其心」は、明の孫作撰『滄螺(そうら)集』(六巻)巻六所収の座右の銘に記された語句だが、この孫作は字を大雅といい、洪武年間(1368-98)の事績が知られる。ともあれ「潜静して以って其の心を養う」からこそ「逸人」であり、仕官せず東京に隠棲した維新後の揮毫と思われる。
 落款に捺した「髙精一字寛猛」白文方印で姓を「高」一字で記すのは、漢籍に通じた者が好んだ修姓だが、その下の「號泥舟」朱文方印は、右からこの三字を横に並べ細線で刻されている。
 
解説: 森岡 隆(筑波大学教授・博士(芸術学)) 2019.3
 
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