- 松と太湖石図
- 小坂芝田画
右に「松図」、左に「太湖石図」を掛けた双福である。
松図は条幅を縦に長くして、中央に幹が立ち、枝には大ぶりの松葉、また松笠も描かれる。幹は淡墨で、また擦筆で描かれているところから老松を描いたものであろう。松図は右に「乙卯春芝田山人写」とあり、円印に「芝」と「田」を刻んで瓢型二円をつないだ朱字印である。干支「乙卯」により、1915年の制作である。
太湖石図は上方に空間をとって松図とのバランスを取り、大地から太湖石が立ち上がるように描かれている。太湖石の頭部に霊芝が描かれて、霊芝には淡い丹彩がつけられている。上方左に「芝田作於積翠居中」とあり、円形にぐるりと「芝田山人」を刻んだ朱字印が捺されている。
松は古来より吉祥を意味する木で、そのため「十八公」「木長官」「枯龍」「千歳材」などと中国で言い、日本ではこれに加えて「延喜草」「豊喜草」などとめでたい呼称がある。さらに老松は謡曲「三笑」に「萬代を松は久しきためしなり、年を老松も、緑は若木の姫子松」の句があり、千歳を生きるめでたさから多くの絵師に描かれている。
松に石、これに霊芝を加えて描くことを「芝仙延年」、また「壽潜図」と言う。老松、太湖石、霊芝ともに不老長寿を意味することから、本図が坂野家に安寧の意味で収蔵されたものであろう。
坂野行斎が書院「月波楼」を改修し、その完成は1920(大正9)年である。思うに小坂芝田は中村不折と従弟の関係であり、この時期に不折による扁額題字「月波楼」が求められているので、両者の関連での収集であったと解釈できる。
解説: 守屋 正彦(筑波大学教授・博士(芸術学)) 2017.9
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