- 雪後の朝
- 木村武山画
南天は晩秋から初冬に赤い実をつける。南天の実を啄みに来たルリビタキが南天に積もった雪の上に顔を出している。画中上部に朝日を描き、右下に武山の署名と白字方印で「武山」を捺す。南天は「難転」と言葉を当てて、災いを転じ、福を願う画題であろう。
木村武山は明治9(1876)年に笠間藩士であった木村信義の長男として生まれた。本名信太郎。父は廃藩後に帰農し、笠間銀行の創立に参加し、頭取となった。武山は笠間小学校を卒業後に上京し、明治23(1890)年、東京に出て開成中学校に入学し、絵を川端玉章の天真社に学び、二年次で東京美術学校に編入し、下村観山に学んだ。明治31(1898)年創設の日本美術院に明治34年より参加し、明治39(1906)年の日本美術院五浦移転にあたり、岡倉天心、横山大観らと移住した。明治40(1907)年に第一回文部省美術展覧会に「阿房劫火」を出品し3等賞、明治43(1910)年文展第3回に「孔雀王」を出品し、再度3等賞となる。大正3(1914)年、日本美術院再興について発起人となり、再興第1回展に「秋趣」、以来昭和10(1935)年発まで連年出品している。花鳥画に優れ、彩色にすぐれ、代表作に東伏見宮御殿御襖絵「群鶴之図」久迩宮御殿御襖絵「菊花之図」がある。
坂野家の収集には吉祥を画題とするものが多い。その収集の傾向から推論するに、行斎は長子公堂の早い逝去を嘆き、南天の画意「難を転ずる」ことを、近代日本画を拓いた同郷の画家である木村武山の花鳥画に求めたのであろう。
解説: 守屋 正彦(筑波大学教授・博士(芸術学)) 2017.9
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