あとがき

 / 503ページ
 水海道市史の「通史」の編さんが改めて具体化したのは昭和五二年三月の市史編さん委員会の席上でした。それまで、市史編さん委員会発足当初から、『市史資料集』、『図説水海道市史』などを手がけ、会の中心となって事業をまとめてこられた常任専門委員の山崎一郎氏が病没され、しばらく通史編さんの機運が持ち越しの状態になっていたからでした。
 同年、五月下旬、早速新しい編さん体制の準備会がもたれ、各時代ごとの執筆担当者を含む常任専門委員の人選が進められると同時に、執筆に先立ち、基礎資料の収集と調査にあたる専門委員数名が委嘱されました。これは、従来からの地元の郷土史家、諸先生の他に、例えば考古学等の専門分野の知識を持った指導者が必要になったからで、以前から水海道に縁故深い先生方をお願いすることになりました。
 しかし、当初の通史の発行計画は、五二年度資料調査収集、五三年度原稿執筆、五四年度編集印刷発行というように極めて具体性に乏しいものであったために、あらゆる場面で多くの困難に直面せざるを得ませんでした。例えば各時代の執筆項目は、「監修者」を置かなかったことから統一がとれず、項目によっては具体的に史料収集の作業をすすめる専門委員の諸先生方との調整にも難行をきたしました。
 また、原稿執筆に先立ち基礎史料の再検討を迫られたのもこの頃で、五三年末になって筑波大学芳賀登ゼミ、翌年には茨城大学雨宮昭一ゼミの援助を得て、それぞれ近世地方文書の再調査、旧役場文書の資料整理を実施するといった状態でした。従って、ここにきて当初の通史発行年度計画は大幅に修正せざるを得なくなり、さらに特殊事項の執筆については、新たに調査委員を補充するという対応がとられる等、人的にもなお一層複雑化していく有様でした。
 このように、通史編さんに六年もの時日を費した理由には、ただ単に事務局の体制づくりに問題があったばかりではなく、つねに史料の偏在に苦慮したことにもあります。今回の編さんにあたって、私たちが追体験しようとした多くの重要な歴史史料が既に散逸したあとであったことが幾度となくあり、特に水海道市にとって、中世期から近世初頭にかけての文献史料が皆無に等しい現状では、地域形成の概観を知ることでさえ大きな困難となりました。また近代以降の旧村文書についても、何度となく襲った自然災害、或いは今次の大戦、さらには町村合併を経て消滅してしまい、このことがとり返しのつかない歴史的空白期をつくり出しています。
 とにかく紆余曲折、今回通史二巻がここに完成しました。思えば、昭和四三年一二月、「明治百年記念事業」の一環として産声をあげてから実に一五年という長い歳月を要して辿り着いた到達点です。
 しかしこの本によって水海道市の歴史が十全に描ききれたわけではなく、残された課題の方がむしろ多いとさえ考えておりますが、水海道地域がかつてどのような歴史的変遷を経て現在に至ったのか、少しでもその概観を知っていただく手がかりになれば、これに過ぎる喜びはありません。
 最後になりましたが、通史編さん並びに市史編さん事業発足当初から絶大な御協力をいただきました関係者各位、及び多くの資料提供者の皆さまに衷心より厚くお礼を申しあげます。