23 大生郷貝塚

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 水海道市大生郷町金土地内の東仁連川に面して突出する舌状台地の先端部に三日月状を呈して存在した貝塚であったが、昭和四五年のころから四八年のころにかけて行われた広範囲に亘る土取作業によって、遺跡は完全に失われてしまった。市域内の貝塚としては、花島貝塚とともに周知度も高く、多彩な遺物を出土する貝塚として学術的に高く評価されていただけに、極めて残念なことである。
 大生郷貝塚は、これまでに学術調査は行われていないため、遺跡の範囲や性格については不明の点が多いが、表面採取によって得た諸資料によって、縄文時代の後期から晩期に及ぶ遺跡とみられる。
 主なる遺物は、縄文土器をはじめ石器類(石皿・石棒・石斧・石鏃等)・骨角器(錐・骨鏃・骨針等)・土偶・装身具・貝類(主にオオタニシ)・獣骨(シカ・イノシシ・アナグマ・タヌキ等)・鳥骨(カモ類)・魚骨(サメ・ウナギ・サケ・マス・コイ・フナ等)等が知られ、量的にもかなり多い。
 なお、現在のライスセンターの敷地となっている地域に縄文時代の住居址の存在することが確認され発掘されたというが、詳細については明らかでない。
 

金土貝塚出土土器実測図


金土貝塚出土土器


金土貝塚出土の骨角牙器・貝製品
貝輪(1~10),骨角牙器(11~21),「常総台地11」