天照皇太神は各家ごとに神棚に祀られている。下総国一の宮は香取神宮で、郷土では、もといずれの村も一社を祀っていた。衣食に関わる神として総(ふさ)(麻)の国をおこした鷲神社や、豊作の神、稲荷神社が祀られた。その他雷神、水神等もある。北畠親房は「我が国は神国なり」と高調し、中世はしだいに本地垂迹説より神本仏迹説へと傾いて来た。
北総の仏教においては、古代は猿島地方を中心に大化年間、三論宗が入り、山岳仏教が起こると天台に改宗、さらに鎌倉期には浄土真宗に改まっている。辺田村では聖徳太子の名をとり聖徳寺(後に西念寺)、三村では太子の開いた大和国葛城寺の名をとり葛城寺(後の妙安寺)、長須村では村名をとって長洲寺(後に阿弥陀寺)と称した。民衆は「南無阿弥陀仏」の念仏をよく唱えた。
奈良期、法相宗が大谷口村泉福寺、弓田村慈光寺に入った。大和田国生駒の本山にも記録が残っている。この両寺は鎌倉期に天台に改宗している。水海道では、天台宗安楽寺は、大生郷天満宮の別当寺として迎えられている。
水海道では、浄土教のうち浄土宗と浄土真宗が特に盛んである。報国寺は鎌倉の光明寺開山良忠(りょうちゅう)が開き、院号を豊田院という。豊田氏の招致であろう。飯沼弘経寺は富田(岩井)生まれの良肇(りょうちょう)の開山で、名僧知識が輩出し、勅願寺となり、檀林となり、布教、末寺の及ぶところ高声寺(岩井)の東北に発展するに対し、東北は田村氏城下町三春に光岸(岩)寺があり、西国に到っては、畿内はもとより九州島津氏に及んでいる。
浄土真宗では二四輩の一番報恩寺があり、性信の東国布教、教団門徒は盛んで、師親鸞もここから発して、岩井の妙安寺、聖徳寺・阿弥陀寺の改宗を始めている。
真言宗では、水海道に神田山村(岩井)妙音寺の四末寺があった。
禅宗は鎌倉期までは見えず、相馬郡守谷が城下町だけに武士の信仰に適応し、多く開かれた。中世は各宗派の対立抗争が多かったが、水海道では浄土両宗が盛んで日蓮宗が進出しなかったので闘争がなかった。
地頭は寺を開基したり、氏神などを祀っていて、どの村にも山岳仏教や熊野権現に結んだ山伏修験が存在している。また、血族団結による何堂何社を持つ堂敷の同姓の社会がみられ、一般民衆は石の塔碑は造らなくとも、死者を弔うには小さい木牌などは作ったであろう。
道教の影響のある庚申信仰もうかがえる。