大塚戸(元相馬郡、今水海道市)に座す。雄略天皇が葛城山御猟の際、同山に登り来る者が一言主神であった。問答の上、賜物を与えると拍手して受けとり、天皇下山には送っている。この神の社は、天平宝字八年(七六〇)に葛城山麓に建てられ、大塚戸村(水海道市大塚戸町)の宮内(今の神社の西方)に分祀されたのは、大同四年(八〇九)一一月一三日と伝えられている。ここに霊光あらわれ三岐(みつまた)の竹筍の発生した日という。光は一言主神であると、御湯の行者の託宣があった。
神の別名は事代主神で大国主命の御子で、事は言、代はしるしで、一言願えばしるしを与え叶えてくれるという。俗に恵比須様と呼ばれ漁業の神で、漁場菅生沼のほとり宮内にあらわれたのは適所である。御託湯祭も行われ、からくり綱火もあり、釜ぐい明神も存している。現在場所への遷宮は長禄三年(一四五九)四月、守谷城主相馬胤広によって営まれたのである。
一言主神社