平安中期、空也(天禄三年九月一一日七〇歳没)によって他力本願によって念仏を唱える浄土教が始められた。次で、浄土宗の開祖として法然(源空)が出て鎌倉新仏教の草分けとなった。それを継ぐ高僧たちや、浄土真宗を開いた親鸞等があらわれた。それが水海道及び近辺に関係が多いことは興味が深い。
浄土教法統系図
源空は一五歳で叡山の皇円に従って受戒し久安六年(一一五〇)一八歳で師より法然房源空の号を授かって四三歳、一向専修念仏に帰し洛東吉水に住んだが、それが禁ぜられて土佐に流された。建暦元年(一二一一)許されて、帰京したが翌年八〇歳で寂している。