五輪塔

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空風火水地の五大を宝珠形、半円形、三角形、円形、方形にかたどった五輪塔は稀に木造もあるが、石造が大体を占める。水海道の報国寺境内には、頼朝様と呼ばれる五輪塔がある。頼朝を供養して建てたか、あるいはその主は報国寺の開基か、源頼朝から補任された地頭の墓標とも、受け取れる。しかし、頼朝様といわれる五輪塔は、このほか、水海道周辺に三か所ある。
 すなわち、豊田荘大方郷栗山、もとの栗栖院址墓地、豊田郡(筑波郡)台豊田(上郷)の大宿行屋(もと横町三方之巷)筑波郡福岡(谷和原村)大楽寺阿弥陀堂境内等にある。
 報国寺境内の伝頼朝之墓である五輪塔は水輪を欠いている。その附近の墓塔に用いられている水輪型のものは、右五輪塔の水輪にふさわしいようである。
 各輪の高さは空輪二一センチ、風輪一三センチ、火輪三〇センチ、地輪は地表上二六センチである。
 栗山の五輪塔は源様と称され、あるいは地頭の秋庭氏が頼朝に報恩感謝しての供養塔として造ったものとも察せられる。
 上郷大宿行屋のは頼朝御石碑といわれ、頼朝御治世三か年の年貢を赦免された冥加のために二基を安置されたものといわれる。
 福岡大楽寺の五輪塔も右と同じで頼朝が征夷大将軍となり、三年の間、東国の租を軽減したので、民はその恩徳に感じて冥加として献じたものといわれている。年号がないのが例式で年代は不明であるが、以上四か所のものの内には、鎌倉時代の塔が含まれているようである。室町時代になると、大生郷石塚大膳家の五輪塔は同屋敷内にあり、花島の石塚左京家のものとおぼしき塔は金光寺東隣の墓地に見られる。石下の蔵持の寺出土の五輪塔群は、石下町民俗資料館前に移されている。
 戦国の世、水海道に再三侵入した栗林義長の五輪塔は現存はしないが、東林寺過去帳に明記してある。
 このほか、報恩寺の裏の性信墓碑の五輪塔が老杉の下に建っている。また鬼怒川(三坂地先)から、数基が出土している。
 

五輪塔(報国寺境内)