成氏の動向

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下妻に遁れた成氏は、多賀谷家植に護られて、千葉孝胤の許に倚るのであるが、水陸いずれにせよ水海道を経たであろう。途中は、豊田氏、渡辺氏、羽生氏、千葉氏を本家とする相馬氏等があって護送取りつぎの便には事かかなかったであろう。
 翌文明四年(一四七二)二月三日、関宿の簗田氏のはからいで、千葉孝胤の許から、成氏は古河に帰城するが、成氏はまず与党を千葉に集めた。結城氏広も復帰し、簗田・野田・小田氏ら共に古河の回復を窺っていたが、上杉方の守備兵が古河から追い出されると、家植、孝胤らは成氏を護って帰城することができた。
 帰城後、成氏は長尾景信(昌信)と結んだ横瀬(由良)成繁を上州金山城に攻めたが落ちなかった。成繁の弟横瀬能登守長氏(永氏)が後に水海道絹西の菅生城を乗っとっているがこれは後記する。