公方父子の不和と小弓公方

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古河は下総の北端にあり、小弓はその南端にある。小弓城には原式部少輔次郎胤景が居城し、下総の守護代武田氏(甲斐武田の族)と争ったが千葉氏の加勢で原氏は勝つことができた。しかし、先に父の古河公方政氏と不和で陸奥国に逃れていた足利義明を迎えた武田氏は三か年間原氏と戦って遂に討死させた。ここに義明は小弓城に拠り、小弓(生実)御所と称しさらに関東の主となろうとしたが、古河公方が北條氏綱を頼り、天文七年(一五三八)鴻台の戦に義明を敗死させている。このことは別記する。
 政氏は小山の祇園城に出てしまったが、永正六年(一五〇九)、父子の和がなり高基は古河に帰ることが出来た。この間、双方の与党をみるに、高基党は簗田政助(高助)、佐竹義舜、小田政治等で、政氏党は、小山政光、結城政朝及び守谷の相馬氏、古間木の渡辺氏などであった。