猿島・横瀬勢の千葉氏攻撃

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天正七年九月一八日、足高城の岡見・栗林らは後北条氏の命で千葉氏を討つために布川に集合し、兵を分けて出発した。九月二一日朝、豊島紀伊・同肥前の軍は惣源城を攻め落とした。月岡勢は公津城を包囲している。二二日には義長を大将とする猿島勢は横張氏が指揮し、名越・朝比奈のほか猿島の六天である曽根七郎・松井田六郎・岩田一蔵・須田与市・上巻弥四郎・半田甚七らがしたがって、千葉頼胤と志(清)水城外で戦ったが破れた。ここにおいて水海道絹西郷士を率いる横瀬能登守・同主膳・同肥前らは、第四陣となり、第一陣の筒戸勢、第二陣の相馬小次郎の守谷勢らと合して千葉勢に当たり、猿島勢もとって返し、かねて掘って置いた陥穽に頼胤ら一〇〇余を陥し入れて生捕りにし降参させた。さらに佐倉城に向かったところ千葉国胤は病中で戦うことも出来ず降参した。
 多賀谷追討から戻って行方(なめかた)の蜂起を平定した土岐伊予も義長の許へ馳せ参じて一手となった。