戦国期の士民の苦労は非常なものであった。
「口に給(たべ)申物も、陣中に臼杵とても無之候へば、つかぬ黒(玄)米を其儘にして食に炊き、味噌も
無之候得ば、塩汁をすすり、勿論調菜など申儀も是なく野陣の時は申に不及、たとへ陣屋の内に罷在候
とも、屋根は雨さへもらずばとある迄にて、脇に笹垣一重を囲ひ、下にはあんじき一枚をしき、掛具と
ても無之儀なれば、塞陣などの節は、はだへもひえとほりて、夜の目もあはず、夏陣の節は夜もすがら
蚤蚊につゝかれ、時としては具足を着しながらも夜を明し、其上外に取かへもなき身命を、ちりあくた
のごとく思ひなして家をはなれ、妻子をわすれて軍旅に月日を送る辛労と有は、如何計の義なるべしと
勘弁尤(もっとも)也」 (『落穂集』載)
とある。
また、農民は追立夫といわれる軍役がたびたびあたり、農をする暇もなく、その上、戦場で足軽長柄、旗持などに出され、それが討たれると、補充に知行所の村々に割りかけて、丈夫な者を召し出すから、家に残った老人妻子の苦労と歎きは大へんなものであったと文末に示されている。