五人組制度

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この五人組制度とは江戸時代における最末端の行政組織で、農村では近隣の農家五軒(必ずしも五軒とはかぎらず、四軒又は六軒の場合もあった)を一組とする小団体をつくり、その小団体はあたかも一家のごとき親近感をもち、冠婚葬祭はもとより、一軒の家に何か変事がおこれば親類に先だってその処置にあたり、また、各家庭の様子もうかがい、各家庭から犯罪人などを出さないように互いに監視し合い、もし、出した場合は五人組全部が連帯責任を負い、さらに年貢なども一軒が納められなければ、他の四軒がその分を出し合って納めるなど、要するに相互監察、連帯責任の役目を果たしたものである。その五人組に関しては五人組帳、御法度書(がき)、御請書、御仕置などと呼ぶ、五人組が守らなければならない法規をしるした帳簿があり、それを名主の家に備えつけ、正月、五月、九月には名主がその簿冊を村中の農民に読み聞かせ、いささかでもお上(かみ)のご政道に背くことのないようにつとめさせたのである。
 いま、水海道市域の旧家には数点の五人組帳がのこっているが、ここでは長助新田にある市村家所蔵の慶応元年(一八六五)に定められた「五人組御仕置条々」を挙げることにしよう。この御仕置条々は全文七五か条から成る厖大なもので、当時五人組に対する支配階級の行政的姿勢を知るうえで貴重な資料である。
 
     五人組御仕置条々
  一、前々公儀より度々出し候御法度書の趣き、いよいよもって堅く相守り、御制法の儀相背かざる様に村
   中小百姓下々まで申し付くべき事。
  一、五人組の儀、町場は家並(な)み、在郷は最寄(もより)次第家五軒づつ組合せ、子形(がた)(方)并(な
   ら)びに下人、店借、借地の者に至るまで悪事仕らざる様組中油断なく詮儀せしむべし。若し徒(いた
   ず)ら者これあり、名主申しつけをも用いず候はば訴えべき事。
  一、惣じて家業を第一に勤むべし、百姓に不似合の遊芸を好み、或は悪心を以って公事(くじ)□□いたし、
   作り公事を工(たくら)み、害をなす者又は不孝の輩あらば隠し置かず申し出ずべし。何事によらず神水
   を呑み、誓紙を書き候て申合せ、一味同心致し、徒党がましき儀仕るべからざる事。
  一、百姓衣類の儀結構なる物着るべからず、名主妻子共に紬絹これを着すべきも、平百姓は木綿の外着る
   べからず。綸子(りんず)、紗綾(しゅあや)、縮緬(ちりめん)の類、襟帯等にも致すまじく候。然れ共平
   百姓にても身代宜敷(しんだいよろしき)ものは手代(代官所の役人)方まで断りを立て、差図を請け着る
   べき事。
    附たり、男女共乗物等乗るべからず、家作等目立ち候普請、奢りがましき儀仕るまじき事。
  一、聟取り、嫁取りの祝儀奢りがましき儀これなき様に随分軽く仕るべく、大勢集り大酒呑むべからず。
   所々より改屋(改築)の祝儀、新宅の広め、初産の祝い、不相応なる祝い仕り候儀堅く停止たるべし。分
   限に応じ憚って仕るべく、并びに葬礼の野酒一切停止の事。
  一、殺害人或は自害を致す者或は倒れ者これあり候はば番人を付け置き、早速これを訴えるべし。火事、
   盗人、喧嘩手負いの者惣じて不慮なる儀出来候はば、右同前油断なく早速注進すべき事。
 
 以上のほか全文七五か条のうちには土地及び金銭貸借に関する事項、牛馬の飼育及びその売買に関する事項、身元不審者の居住に関する事項、百姓転退に関する事項、年貢収納に関する事項等いずれも支配階級の一方的な押しつけのかたちで定められている。そのなかでも百姓が転退した場合、その跡地が荒地となるおそれがあるので、そうしたことをしてはならないと規定をした。これは要するに農地が荒れると農村の生産力が減少し、支配階級に対して大きな影響を与えるからである。また、年貢の収納に関しては、包装、運搬等についても詳細にわたる規定を設け、あくまでも支配階級側の利益を保護する立場をとっている。このように五人組制度も結局は支配階級が、その支配の根底をなす封建制度を維持するために設けた制度であることを知らなければならない。