飯沼新田の農間渡世一覧別 |
○伊左衛門新田(村高五八五石・戸数(二九))渡世軒数=五/穀商(二)居酒・煮売・小間物・荒物・ 太物・古着屋・材木マキ・医師 |
○五郎兵衛新田(四〇八石・三三戸)六軒/菓子卸(二)居酒・髪結・煮売・豆腐商 |
○笹塚新田(三〇四石・二三戸)三軒/居酒・煮売・穀商 |
○大生郷新田(二五九石・八二戸)一九軒/青物(四)・居酒(三)・煮売・髪結・御菓子・荒物・ 小間物・穀商・紺屋・鍛治・植木・油絞 |
○大生郷村(一〇九七石・九五戸)一四軒/煮売(六)・居酒(五)・髪結・穀商・小間物・荒物・下駄・ 古鉄・弓道師範・材木・箱屋 |
○大生郷村天神領(三〇石・三六戸)二〇軒/居酒(六)・蒸菓子(六)・煮売(三)・御菓子・荒物・ 小間物・太物・下駄・材木・鍛治・魚商 |
○横曽根古新田(八一一石・一〇六戸)一六軒/肴売(九)・居酒(二)・大工(二)・菓子・豆腐・果物 |
(文政10・天保9の農間渡世書上より) |
江戸時代の支配階級は農村をあくまでも支配体制を維持するための経済的基盤と見ており、農村から生産される物資はこれ年貢として収奪し、それによって自己の存立をはかり、農民はその余剰をもって生活を維持することを強(し)いてきたのである。しかるに農村においても前述のような理由で余剰労力が生じ、それによって農業が多様化してその生産が増大し、それが商品化することによって貨幣経済が農村社会に浸透し、それがために農村社会本来の性格が大いに変わり、ついには支配階級が一方的に押しつけてきた農村の機構がはしなくも分解の危機に追いこまれることになった。
固(もと)より支配階級は農業生産の増大は歓迎したであろうが、その商品化によって農村が変質することは必ずしも喜ばなかった。しかし、時勢のおもむくところいかんともしがたく、特に水海道市域では旧水海道村という、在郷における半都市的消費地を控えた周辺の村落では、その生産物の商品化傾向はますます強まり、したがってまた貨幣による流通経済もさかんになって、ついには農間余業と称する農村商人の出現を見るにいたった。