江戸時代の学問は漢学が主流であった。ためにそのさかんなることは幼童が寺子屋で教科書に使われる童子教や実語教から、儒者先生が机案を前にして漢・唐代訓詁(くんこ)の学を説き、宋・明代性理の学を講ずるまで、すべて漢文をもってつづった文章によっていた。したがって日常用いる文章もまた多くは漢文若しくは和漢混淆文であった。戦前まで公用文や書簡文に使われていた「此之段仰二決裁一度稟議仕り候」とか「乍二他事一御放念被レ下度候」などはその一例である。このように漢学が主流の時代であったから、水海道市域にも漢学にすぐれた人物が多く出た。そのうち水海道市域の出身でひろく名を成した者は次の人びとである。