俳句

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水海道では古くから俳句に志す者はかなり多く、しかも相当さかんであったらしい。ところが文化七年(一八一〇)六月のころ、信州飯田の出身で、当時江戸の俳壇で名声を博していた桜井蕉雨が、同郷の俳友小林一茶とともに北総の地を訪れ、一茶は守谷の西林寺住職鶴老のもとにとどまったが、蕉雨は単身三坂新田の豪農猪瀬好古(豊城の子)のところまで足を延ばした。その蕉雨がここで同好の士をあつめて句会を催し、点者となってから、北総の地でも俳句が今までより一そうさかんになった。
 蕉雨が好古を訪れたころ既に好古も北総俳壇では岡田郡馬場村の秋葉素盟、筑波郡真瀬村の飯田滄水らとともに一方の雄としてその名が知られていた。蕉雨は北総に足をとどめることしばし、その間しばしば句会を催し句友をつくり、特に好古のために句集を選し、俳壇のため多くの功績をのこして去った。
 ここに幾冊かの句集がある。そのうちから水海道の人が詠んだ句を若干挙げることしよう。
 
 卯の花や笠借りによる蜑(あま)が宿猪瀬好古
 戸を横にしてもおかれず今日の月山崎分賞
 こき空の水にうつりてあきのくる石塚曙葎
 蓮提(さ)げてたたくや常に明かぬ木戸滝川鶯橋
 虫の音に船を戻せば止みにけり宮本赤岳