大塚戸の花火

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大塚戸村には旧暦八月一三日興行の「大塚戸の花火」という昔からの行事があった。現在は毎年九月一三日に行われている。
 この花火のことについては横島広一氏に労作『大塚戸の花火』という著書がある。
 これによれば花火の起源について二説がある。その一は長禄三年(一四五九)、一言主神社社殿再建のときの奉納説。その二は万治二年(一六五九)、三峯神社の開基にあたり、火祭りを行ったとの説。この二説である。
 この花火は「糸繰花火」又は略して「糸繰」と古い記録に見えるが、一般には「からくり」で通っている。
 花火の演出は十数名をもって構成する人びとによって行われ、その構成員の中には大太鼓・小太鼓・つづみ・笛、鉦などから成る多彩な囃子方があり、張り渡した綱の上に美粧を凝らした人形や、その他の造形物を手ぶり足ぶりおもしろく踊らせ、それを特殊な仕掛花火の照明で宙に浮き出させるという巧妙な技法が大いに大衆の目を楽しませた。
 上演する外題は『糸繰年代記』なる記録があってこれに詳しい。すなわち文化元年(一八〇四)から明治三四年(一九〇一)に及ぶ九七年間に二七回にわたって花火興行が行われたことを証している。
 いまその例をあげれば、
 
  日高川道成寺、清姫一念、蛇体外二題
               ―文化一四年上演―
  源義経馬上逆落、太夫敦盛馬上ノ働外二題
               ―文政七年―
 
 などである。