明治二二年三月までには県下各市町村が形成され、全県下で一市三九町三三六村が成立した。
水海道地方では、結城・岡田・豊田郡役所管内の一町六か村、北相馬郡役所管内の三か村、合わせて一町九か村が誕生した。これ以後、戦後昭和三一年に現在の市域が確定するまでの、近代約六五年間の歴史は、基本的にこの一町九か村の行政町村を中心に展開することになる。
町村合併を進める上で、法律では一応、「大凡三百戸乃至五百戸」を独立の町、村の規模にふさわしいとしていたが、旧来からの経緯や、村落の規模を踏まえて形成されたから、出来上った町、村規模はまちまちであった。茨城県下の一町村は平均して五つの旧町村の合併からなり、戸数で四三八戸、人口二五八九人を示している。
市制、町村制により出来た町村は、たんなる行政区画としてではなく、自ら独立し、統治する「法人」として、独立した人格として、確立することを目的としていた。しかし自治の実態は極めて制限されており、国家のための行政事務負担、財政負担が押し付けられることが多かった。
明治二六年(一八九三)一二月現在における、水海道市域の各町村の概況を示すと第七表のとおりであった。
第7表 明治26年各町村の概況(「下総六郡名家揃」) |
町村名 | 戸数 | 人口 | 町村 議員 | 衆院選挙 資格者 | 役場位置 | 小学校位置 | 町村長 |
水海道町 | 928 | 5,270 | 12 | 47 | 水海道 | 水海道 | 長塚重明 |
大生村 | 478 | 3,062 | 11 | 61 | 相野谷 | 平右衛門新田 | ― |
五箇村 | 412 | 2,973 | 11 | 62 | 上 蛇 | 上 蛇 | 猪瀬嘉吉 |
三妻村 | 493 | 3,237 | 12 | 46 | 三 坂 | 三 坂 | 古矢美三雄 |
大花羽村 | 301 | 1,897 | 12 | 40 | 大 輪 | 大 輪 | 石塚清一郎 |
菅原村 | 412 | 2,922 | 12 | 43 | 大生郷 | 大生郷 | 坂野慶蔵 |
豊岡村 | 583 | 3,702 | 12 | 52 | 元執恩寺 | 元報恩寺 | 星久馬 |
坂手村 | 345 | 1,983 | 12 | 24 | 坂 手 | 坂 手 | 鈴木孝 |
内守谷村 | 243 | 1,535 | 12 | 18 | 内守谷 | 内守谷 | 藤啓助 |
菅生村 | 500 | 3,245 | 12 | 24 | 菅 生 | 菅 生 | ― |