御請書
第七区七小区
大輪村
今般地租御改正精撰ニ付御諭達之趣ニ拠リ夫〻協議ヲ尽シ全図上ニ就テ大級等ヲ定メ甲乙丙之小階ヲモ
細則ニ致シ進達仕候得共万一小階之中不権衡之義モ難斗候間尚其上実地ニ就精〻尽力本月 日限リ期日
不謬事業整調可仕候間其段御請印形仕候以上
右村
地主惣代 古谷山三郎 印
明治十一年一月十五日 同 石塚 安衛
村長 石塚清一郎
地租改正掛
御中
このような複雑な過程を辿ってようやく認められた土地の所有であったが、地租改正で重要なことは、その後の経済変動により困窮者がその土地所有権を放棄するという問題が続出したところにあった。すなわち村内が土地の所有階級(地主)と、非所有階級(小作)に、分裂していく道を、制度的にひらく結果を招いたということである。明治一〇年代半ば以後にその過程が著しく進み、明治~大正期を通じて、農村は、広範な自作とともに地主―小作という階級関係が生成、継続、再生産されるという状況になっていったのである。
明治二〇年代における水海道地方の土地所有関係(自小作地別)を見ると第一六表のとおりである。この時期には未だ自作地の比率が五〇~六〇パーセント台を維持しており、畑に比し水田の小作地化は進んでいなかった。
第16表 旧岡田・豊田2郡自小作地の推移 | (単位:町) |
田 | 畑 | ||||||
自作地 | 小作地 | 合 計 | 自作地 | 小作地 | 合 計 | ||
明治16 | 岡田郡 豊田郡 | 686.5 1323.3 | 365.1 864.2 | 1051.6 2187.5 | 1415.9 2112.4 | 810.9 1166.2 | 2226.8 3278.6 |
18 | 岡田郡 豊田郡 | 680.7 1295.0 | 334.4 906.5 | 1015.1 2201.5 | 1312.5 1832.7 | 818.6 1321.5 | 2131.1 3154.2 |
20 | 岡田郡 豊田郡 | 690.6 1249.1 | 324.5 952.3 | 1015.1 2201.4 | 1215.6 1868.7 | 915.5 1285.5 | 2131.1 3154.2 |
22 | 岡田郡 豊田郡 | 724.4 1398.0 | 592.6 929.1 | 1317.0 2327.1 | 1255.1 2099.8 | 1026.9 1398.5 | 2282.0 3498.3 |
24 | 岡田郡 豊田郡 | 735.7 1405.0 | 581.3 922.5 | 1317.0 2327.5 | 1272.5 2106.3 | 1003.7 1393.0 | 2276.2 3499.3 |
26 | 岡田郡 豊田郡 | 738.7 1404.5 | 584.3 923.2 | 1323.0 2327.7 | 1274.5 2112.0 | 1004.4 1386.9 | 2278.7 3498.9 |
第17表 同上比率 | (単位:%) |
明治16 | 岡田郡 豊田郡 | 65.3 60.5 | 34.7 39.5 | 100.0 100.0 | 63.6 64.4 | 36.4 35.6 | 100.0 100.0 |
18 | 岡田郡 豊田郡 | 67.1 58.8 | 32.9 41.2 | 100.0 100.0 | 61.6 58.1 | 38.4 41.9 | 100.0 100.0 |
20 | 岡田郡 豊田郡 | 68.0 56.7 | 32.0 43.3 | 100.0 100.0 | 57.0 59.2 | 43.0 40.8 | 100.0 100.0 |
22 | 岡田郡 豊田郡 | 55.0 60.1 | 45.0 39.9 | 100.0 100.0 | 55.0 60.0 | 45.0 40.0 | 100.0 100.0 |
24 | 岡田郡 豊田郡 | 55.9 60.4 | 44.1 39.6 | 100.0 100.0 | 55.9 59.0 | 44.1 41.0 | 100.0 100.0 |
26 | 岡田郡 豊田郡 | 55.8 60.3 | 44.2 39.7 | 100.0 100.0 | 55.9 60.4 | 44.1 39.6 | 100.0 100.0 |
出典) | 明治16~20年「茨城県統計表」 明治22~26年「茨城県勧業年報」 |
しかし明治四〇年代まで延長してみると、田、畑とも小作地の方が多くなり、どの村内にも自作農より、自作兼小作や小作農の方が圧倒的に多くなっている。