伝習生は毎日自分の試作品を提出し、糸賀に鑑定してもらい、結果は点数で、甲乙丙の評定をうけた。品行三〇点、形状二〇点、色沢二〇点、水色二〇点、香味二〇点、火度二〇点、蒸度二〇点で合計一五〇点満点とした。甲ランクは一三五点以上、乙は一二五~一三四点、丙は一〇五~一二四点と定められ、伝習生は毎日の試験に合格するため懸命に製茶技術の習得に励んだという。
伝習料は無料であったが、つけ届けする者もあった。伝習所は伝習生の試作した相当量の茶を販売することで一定の収益をあげた。一週間の特訓をうけた伝習生も、一定水準の良質の茶を製造できるようになれば、近隣や猿島方面の茶商がきてよい値で買い取ってくれ、農家副業として成り立つようになった。
開設当初の明治三三年(一九〇〇)には北相馬郡菅生村、坂手村、守谷町、小絹村、大野村、猿島郡弓馬田村、神大実村などから四一名の伝習生が集まり、三四年には六〇名というように、大正一二年まで延べ千百余名の伝習生が集まった。さらに中川村、弓馬田村、飯島村の三か所にも糸賀が指導する製茶伝習所が設置されるほどの盛況ぶりを示した(「伝習所規則連名帳、同目的心得、糸賀清五郎」によった)。
糸賀清五郎はさらに製茶技術の研究のため明治三七年(一九〇四)には東京西原の製茶試験所で研究を積み、帰村すると直ちに北相馬郡茶業研究会をつくり、それ以来欠かすことなく毎年製茶の伝習所と研究会を開いて猿島茶の発展に貢献したという。
また時代は下るが、昭和期に入ってから、坂手村野口の岡野清左衛門が製茶伝習所を開設し付近一帯に製茶の技術を普及させた。「菅生村是」も糸賀の伝習所や茶業研究会の活躍を、「多クノ伝習生ヲ養成シ其製法モ大ニ改マレリ」と評価した。しかしさらに改良の余地があり、製茶一貫目につき一円八〇銭という価格から二円五〇銭にあげること、また生葉で販売せずに製茶にして販売することなどいくつか改善すべき点も同時に記されていた。
第20表 北相馬茶業組合製茶伝習所伝習生一覧(明治30~大正12) |
旧町村名 | 現市町村名 | 人数 |
菅生村大塚戸 | 水海道市大塚戸町 | 235 |
〃 菅生 | 〃 菅生町 | 251 |
坂手村 | 〃 坂手町 | 164 |
内守谷村 | 〃 内守谷町 | 88 |
豊田村 | 〃 豊岡町 | 12 |
小 計 | ― | 750 |
守谷町 | 北相馬守谷町 | 13 |
小絹村 | 筑波郡谷和原村 | 22 |
高井村 | 取手市高井 | 1 |
大井沢村 | 北相馬,守谷町 | 33 |
小 計 | ― | 69 |
岩井町 | 岩井市 | 4 |
中川村 | 岩井市 | 18 |
七郷村 | 岩井市 | 159 |
神大実村 | 岩井市 | 47 |
弓馬田村 | 岩井市 | 9 |
大口新田 | 岩井市 | 1 |
小 計 | ― | 238 |
旭 村 | 筑波郡大穂町 | 10 |
葛城村 | 〃 谷田部町 | 9 |
作岡村 | 〃 筑波町 | 2 |
小 計 | ― | 21 |
福田村木野崎 | 千葉県野田市 | 1 |
葛飾郡布佐町 | 〃 我孫子市 | 1 |
小 計 | 2 | |
外に中川,弓馬田,飯島村 3ヶ所 | 64 |
註) 糸賀清五郎「伝習所連名帳」(明治33年起)より作成 |