耕地整理費用をめぐる問題

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耕地整理組合発足の明治四四年度予算書による支出合計は五万七一八五円余である。この内訳をみると事務所費が一七〇八円で、予算の大部分を占めたのは工事費の五万四七一九円であった。さらにこの工事費のうちで大きな支出項目は蒸気エンジンを使用する排水機設備費で、三万三八七九円が当てられた。
 工事費のうちで二番目に大きい金額をしめたのは用排水路の新設改修費で、これが五七七〇円計上された。道路工事費には四〇六四円、負債償却費には二五七三円が見込まれた。
 次年度予算では、工事費一万八四四六円、負債償却費二万三〇七五円、事務所費九五一円、支出合計四万四九九七円となっている。この二か年の支出予算額は合計一〇万七一八二円で、そのうち工事費合計は七万三一六五円であった。この二か年でさきにみた工事の基幹的部分は達成されたとみてよい。
 以上の支出に対して収入予算は、初年度の明治四四年は日本勧業銀行からの借入れ予定額四万九九〇〇円と雑収入八五円が計上されていただけで、組合費徴収は予算化されていない。これでは当然さきの支出金額五万七千余円には満たない。翌大正元年の銀行借入額二万七六〇〇円(日本勧業銀行または茨城農工銀行)があり、さらに政府、県の補助金と若干の繰越金を加えると収入合計は四万四九九七円となった。この年もまた組合費の徴収額は計上されていない。両年度収入予算合計は九万四八九七円で、この年度の支出額より一二〇〇円余不足している計算になる。
 実際の借入金の状態を検討してみると、明治四五年三月勧業銀行から四万二五〇〇円、その前月水海道銀行から二万円借り入れ、大正二年一月には勧銀もしくは茨城農工銀行から二万七六〇〇円の借入を決議した。大正四年八月には勧銀から七五〇〇円借り入れた。以上の銀行借り入れ額を合計すると九万七七〇〇円となり、さきにみた初年度と次年度の収入予算額に相当する。
 以上のことは大生村の耕地整理事業が、政府の機関銀行と補助金に全面的に依存している姿を証明している。県内他町村の事例と比較して一〇〇パーセント近く政府に依存して事業を進めなければならなかっただけに深刻な問題をかかえていたのであった。
 これに対して組合費は土地評価額と反当割の二本立てで賦課された。評定価格一〇〇円につき六三銭五厘の割合で徴収され、組合全体の一期分の金額は二四〇一円、年四八〇二円であった。反当割は一反歩八〇銭で計算した。十花地区は組合規約にしたがって、その三〇パーセントの、反当二六銭、大崎外五地区では七〇パーセントで六〇銭六厘と計算された。反当割は年額三七七〇円で評価額割と反当割合計八五七二円が組合費として徴収されることになった。しかし実際には組合費の滞納がひどく、大正四年には工事請負人から代金支払いの訴訟を起され、組合長杉山泰助に支払い命令がだされる始末であった。
 このように大生村耕地整理事業は排水という不可欠の課題を新しい技術によって克服したものの、一般農民は新たな負債を背負うかたちとなり大きな問題が残された。