明治三三年(一九〇〇)の産業組合法の発布以来、各地に産業組合の設立が奨励された。組合の活動内容としては、信用、販売、購買、利用の四つの事業から成り立っていたが、金融活動と肥料の共同購入、農産物の共同販売が主なものであった。
水海道地方でいち早く結成をみたのは、明治三九年の五箇村信用購買販売組合、翌四〇年の大生購買組合、明治四三年の信用販売組合碓氷社水海道組(水海道町外四か村を範囲とする)、四四年の無限責任羽生農業蚕業共同信用購買販売生産組合等々であった。また明治四二年、県下優良産業組合の一つとして県から表彰を受けた内守谷購買組合(明治三九年設立)もあった。この組合は肥料を中心に日用品購入などを行い、設立当初一〇八名、出資口数二〇〇口であった(第六編資料参照)。
一例として羽生農業蚕業共同信用購買販売生産組合の設立事情と活動内容を見ると、明治四一年、養蚕の重要性に基き羽生蚕業共同組合として設立されたのを契機としている。明治四四年、産業組合法に基き名称も改められた。この組合はわずか二四名の小規模なもので、農業と養蚕に必要な資金の貸付け、必要な資材や器械の購入と組合員への販売、生産物の共同販売を行った。
資金は一口一〇円の出資金と事業利益金とから成り立ち、組合員に対する貸付け利子は年利一割二分以内、貯金に対する利子は年八分以内と定められた。
産業組合は町村の行政機関や農会によってその設立が奨励され、大正期から昭和期にかけて、各町村にくまなく設けられていった。