主な商業活動と商人

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明治一〇年代の水海道は、石岡、太田につぐ商業地とされたが、その主な取扱商品は、呉服太物、米雑穀、醬油、荒物小間物、清酒、水油、綿などであった。これらは近世以来のこの地方の産業の発展に対応した生産品であった。すなわち、呉服太物としては、水海道周辺に位置する相野谷、中山、新井木などで農閑期婦女子によって織り出された反物、報恩寺、坂手等の白木綿類、さらに豊田郡北部にあたる石下の縞木綿や紬などが扱われた。米穀は、谷原種違米といわれる小貝川寄りの筑波郡南部の産米を主に取扱い、醬油については、近世以来、水海道には江戸の醬油番付表の上位に顔を出す程の醸造家が数軒あり、明治前期においても取扱い量は多かった。
 明治前期における水海道の商業が全県的な立場でどのような位置にあったのかを、県税の「営業税雑種税地位等級表」から見ておこう(第二五表)。この表は、各商店から徴税する場合の基準を定めたもので、各地における商業発展の度合いを示していると考えられる。先ず、商店数の大半を占める「卸小売」部門で一等地にランクされたのを始め、米、雑穀部門、質屋部門、湯屋部門でも一等にランクされ、酒類請卸小売、旅人宿、飲食店の諸部門では二等地となっている。総合的にみて、水戸、土浦、結城などの各地につぐ位置にあり、太田、下館と肩を並べていたと見ることが出来る。しかし仲買商部門でのランクは低く、水海道には仲買商人は成長しなかった。
 
第25表 営業税雑種税地位値等級表(明治24年)
   ランクその他
種目
1等2等備 考
卸小売水戸市,太田町,下館町,結城町,水海道町,土浦町湊町,龍ケ崎町,古河町
酒類請卸小売商土浦,取手町水海道,境町,古河町,水戸
米,雑穀商土浦,石岡町,真鍋町,下館,結城,水海道小川町,鮎川町,古河,取手菅原村(7等)
仲買商土浦,下館水海道(6等)
質 屋太田,結城,水海道,境,岩井町土浦,石岡,下館,真壁町,絹川村,宗道村,古河,取手菅原,大花羽,五箇,三妻(6等)
古着,古金,古道具商太田水戸,結城水海道(4等)
旅人宿水戸,結城笠間町,太田,土浦,石岡,水海道,古河
運送業下館西那珂村,沼前村,鉾田町,高浜町,土浦,田余村,結城,宗道,水海道
料理店水戸太田水海道(3等)
飲食店水戸,太田,湊,土浦石岡,下館,下妻町,龍ケ崎,結城,水海道,境,古河
湯 屋水戸,湊,太田,石岡,土浦,下館,結城,水海道,古河磯浜町,笠間,平磯,大津,平潟,本陸,真鍋,真壁,下妻,龍ケ崎,境,取手
出典)『茨城県議会史』第2巻より作成


 
 こうした時期における水海道の代表的商人を「年間商金高五〇〇〇円以上商人」のリスト(『茨城県勧業年報』第四回、明治一七年)から見るとつぎのとおりである(第六編資料参照)。
 呉服太物では、佐野屋(五十畑丹蔵)、釜屋(青木伊兵衛)、鍵屋(五木田長次郎)、大国屋(森沢善兵衛)らで、同卸商として鍵屋(五木田利兵衛)の五店があった。幕末から明治初期における代表的商人としてこうした衣料部門の商人が数多く存在したことは注目に値する。つぎに米穀商では釜屋(植田清五郎)、滝川(滝川政平)、鍵屋(須田七之助)の三店があり、数多い米穀商の中で、彼等がそのトップの位置にあった。醬油商としては中彦(山中彦兵衛)、島田(島田慶助)の二店があった。中彦は幕末期頃から創業したといわれる醸造家であった。この外糸綿商として釜屋(野々村源四郎)が年商五〇〇〇円以上商店としてあげられている。
 これらの商店はいずれも近世以来の伝統をもつ卸、小売商であったが、中世以来の土着の者というよりも、近世以降新たに創業した者の系譜が多かった。
 明治後期になると肥料部門や米穀、酒造業などが伸長し、また諸会社や銀行経営にむかう者が伸びて、前期に隆盛であった衣料部門は次第に低調になっていった。