交通・運輸の変化

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常総線の開通していない大正二年以前においては、水海道河岸が文字通り人や物資輸送の中心地であったことはこれまでも何度かみてきたとおりであった。『茨城県統計書』によって、その貨物取扱い数量及び出入船舶数をみると第二九表のとおりである。
 
第29表 水海道河岸輸出入荷物及び出入船舶数
 輸  出輸  入出  入  船  舶
数量元 価数量元 価蒸汽船数同噸数日本型五
十石以上
同石数
明治38年
  39 
  40 
  41 1819,23125826,400
  42 69,819103,3891929,79253026,500
  43 282,27141,5241839,33753026,500
  44 135,60581,4761799,12939619,800
大正1年227,96365,1191799,12939019,500
  2 225,45740,22032160
  3 43,66012600
  4 44,32012600
  5 6,00010,50016960
  6 1,9009,80016600
  7 3,85016,66012600
  8 5,18716,55011550
出典)『茨城県統計書』(各年)より作成


 
 乗客を載せていたと思われる船舶のうちほぼ二日に一度位の割合で通航した蒸汽船は常総線の開通を機会に全く出入しなくなり、日本型五〇石以上船も年間一二~三〇隻前後と極めて稀にしか運航しなくなった。また取扱い貨物をみると、輸出の大半が米及び大麦、輸入は肥料(大豆粕、人造肥料、海産肥料、硫酸アンモニア)、食塩まであったが、これも大正二年以降は潮が引くように減っていった。しかし河岸における貨物の取扱いは細々ながらも続き、全く無くなってしまった訳ではなかった。
 一方常総鉄道水海道駅における取扱い貨物の品目、数量は、年々上昇した(第三〇表)。大正九年までは、出入の数字がわかるから、同駅が機能した地域に果した役割を理解することが出来る。
 
第30表 水海道駅取扱貨物品・数量
    年次
品目
大正2大正4大正9大正14昭和5昭和10
  
 1 米
28,956
345,975
4,547,375
159,601
6,229
191
4,161
4,963
1,532
 2 雑穀
68,737
39,979
4,535,413
125,980
3,156
305
8
3
17
 3 麦粉

444
18,879
500,100
12
386
22
4,201
4,963
 4 食塩

70
1,069,315
1
362
5
2
1
 5 砂糖

2,174
49,111
675,356
20
421
40
7
1
 6 和洋酒
4,176
32,979
150,699
366,549
87
562
65
61
8
 7 醬油
14,678
1,861
83,844
12,612
136
90
294
101
36
 8 甘露
1,312
2,990
7,730
20,819
17
241
27
33
18
 9 鮮魚

44,751
16,278
285,151
7
237
21
43
3
10 塩干魚

33,738
28,572
85,049
19
220
16
6
7
11 絹布

1,650
24,603
20,338
3
5
4
2

12 綿布

4,592
30,333
96,495
25
111
81
108
2
13 生糸

24,040
12
13
4

14 繭各種

2,254
332,065
14,991
322
7
884
218
68
15 綿糸

249
1,771
35
2
48
4
2
23
16 紙類

14,570
7,498
45,876
1
41
5
2
2
17 煙草

8
461,519
2,105
2,702
73
2,831
1,962
931
18 肥料
22,014
12,807
82,992
5,030,474
415
5,474
266
41
29
19 木材
6,479
327,435
339,310
448,925
266
657
451
15

20 石材

14,807
265
2,366,024

2,213

1

21 石炭

204,906
103,099
5,887,251
6
4,727
2


22 薪炭

97,085
19,813
1,300,069
334
1,064
11
21
1
23 陶器

3,983
883
4,552

18
8

24 酒類

14,762
29,316
506,156
37
444
84


25 果物

28,846
96,884
566,394
38
393
37
4
28
26 砂利

195
1,208,773

2,025
755
10
10
27 その他
178,104
225,929
1,205,064
2,178,302
2,666
2,129
7,764
782
1,017
 合 計
324,453
1,498,774
12,257,619
22,947,290
16,615
22,489
17,869
12,600
8,699
出典) 『茨城県統計書』(各年)より作成


 
 出荷貨物は、水海道駅から県内各地及び東京方面を中心とする県外へ輸送されたものであるが、農村部から集められた農産物が中心をなした。最も量の多いのは米であり、麦等の雑穀、煙草、繭等もあった。大正九年ごろまでは特に米、雑穀が、全体の過半数を超えていた。大正後期になると雑穀が著しく減り、昭和期には麦粉が急増し、昭和一〇年には麦粉が米を抜き全体の半ばを占めるに至る。これは電力の供給によって水海道地方に製粉業が大きく進出したことを物語っている。これがこの地方で製麵業が発展した根拠でもあった。また大正中期ごろまでは醬油や木材も多かったがこれも次第に減少した。
 入荷量は、出荷量をはるかに超え、主として都市部から運搬されるものが多かった。その品目は水海道町内の各商店において取扱われるものが多かったから、町の商業活動の一面を示していたと思われる。入荷の中心をなしたのは肥料、石炭、石材、薪炭等で、油、果物、食塩、鮮魚等の消費物資が続いた。中でも肥料の取扱い量が圧倒的に多く全体量の四分の一を占めていた。また重量の点では、石炭、石材等も多量に流入していた。
 水海道駅において取扱われる品目は、輸出においては農産物が断然多く、輸入においては肥料を除くと食料、衣料等消費物資が圧倒的であった。
 常総線には三妻駅、大正九年からは中妻駅も設置され、地方の農産物や肥料を運搬した。とくに三妻駅には農業倉庫が設けられ、各地の物資の積み下ろしが行われた。
 なお、大正中期から土浦―水海道を結ぶバス路線が走り、のち次第に水海道と岩井、取手、下妻方面と結んだバス路線が拡張していった。