県議等が尽力したものの例としてまず警察分署昇格問題をみると、この地域の警察署は明治維新以後しばらくは下妻警察署所轄であり、明治一〇年(一八七七)に下総国豊田郡水海道分署となり水海道駅五本榎口に改築移転した。明治一四年から水海道警察署となり水海道駅外旧一五か村を管轄し、明治三〇年下妻警察署水海道分署と変更した。その後庁舎が腐朽狭隘となり職務上不便を感じるようになり、「同町山中彦兵衛外七十一名の敷地及び七千八百円の寄附金を以て、大正七年七月一八日現在の所に新築移転」した。山中彦兵衛は代々醬油醸造業の家に生まれ、常総鉄道社長、農工銀行、常磐銀行、茨城貯蓄銀行、常磐無尽等の重役、さらに水海道銀行、水海道電気会社の創立者で「本県財界の雄」であり町でも随一の資産家であった。町の経済的有力者達の警察への期待を示すものであろう。そして大正一五年(一九二六)に郡役所廃止後、それに代替する意味もあって各警察署が充実されることになり、大正一五年七月一日に、有力者や県議達の働きによって分署から、水海道警察署に昇格したのである。これに伴いこれまで谷田部警察署管轄であった十和、鹿島、長崎の三か村及び取手署の管轄であった小絹、内守谷、坂手、菅生の四か村が新たに管轄区域となった。