水海道町における普選第一回町議選のあと開かれた町会(四月三〇日~六月九日)は、町税の一つである戸数割税をめぐって町長派と反町長派で激しく議論された。この問題はいったん町会で決議した戸数割納税額を無視して、町当局が「勝手に税額を決定して過剰徴収や不正徴収を計った」ことに端を発し、増田、羽田、秋山(信)、五木田の各議員が追求したことにはじまる。町長は「以後注意することを誓い」「不足分は追徴収、多く徴収したものは返すから問題ない」と答えた(同前、六月一五日付、六月二五日付)。しかし町当局の原案が「有産階級に軽く中産者に重い」という「うわさを伝え聞いた中産階級の営業者連カンカンになって怒りだし宝町集会場へ寄って協議の上町会へ陳情、町議連も事情を諒解して原案に大修正を加えること」になって問題は発展した。一説によると原案は「有産階級は、半減どころか三分の一という軽減、中産階級以下は二倍以上の増額」であったという(同前)。特に前者の問題について町会での討論は「町会議事録」(「昭和四年庶務綴」)によれば「決議権無視」に対する町会の「処理」及び「故意カ過失」か(増田)、あるいは「三十八名」への「追徴還付スレバ安心スルガ其ノ他七十有余……ハ不満デ……サラニダニ人心悪化シ中ニハ不納同盟等ノ事モ噂サレテ居ル」(五木田)などの追求に対し、議長は処理として「警告」「譴責」「過怠金徴収」などがあるが「町民ノ反対スル時必ズ悪結果ヲ招来スルモノ」なので「還付ダケシテ」町長に「陳謝セシメ」、未追徴の「金ハ町長ニ寄付サセル」という案を出した。その案をめぐって町長も色々な条件をつけて「法規上カラ言ヘバ、出スベキモノデナイガ愛町ノ念カラ……出シマス」などと答えている。
こうして普選はこの町の旧来からの秩序、すなわち「有産階級」中心の秩序の動揺を、まず「中産階級以下」の層の政治的抬頭、他方、「有産階級」自体の経済力、政治力の後退という形で現わした。そして当面各レベルの選挙や、町会での戸数割をめぐる問題として表面化した。すなわち「有産階級」と「中産階級」の折からの恐慌の中での町税の負担をめぐる問題として現われたのである。その問題において町会議員の中では「中産階級」と「無産」派は「有産階級」に対抗するために共同行動をとり、それらは、原案修正という形でその力を現実的に発揮できた。
このように地方においても普選による政治的変化が現われたが、昭和恐慌の進展は、国内的には血盟団事件や、五・一五事件のような急進的右翼運動、対外的には「満州事変――日中戦争」という内外の大きな政治の変化を引き起していった。