町の体制

189 ~ 190 / 503ページ
政治的には普通選挙、経済的には大恐慌を背景に、この地域でも「資産階級」や名望家を中心とする旧来の秩序が、青年運動や戸数割税問題で顕在化した中間層や、それと重複しつつ、小作争議や労働運動、借地借家人組合運動、電灯料値下げ運動などで顕在化した無産階級などの動きで動揺し変化しつつあったことについてはすでに詳述したとおりである。全国的には後二者、特に中間層の突出した行動による昭和七年の五・一五事件は旧来の体制としての政党政治体制を終了させた。このような中で諸階級や諸階層の、社会的な多様な動向は、町の政治においてどのように現われるのだろうか。それを町議、町長、県議、衆議院の諸選挙などを通じて分析していこう。
 昭和八年(一九三三)四月二五日の町議選挙の前回と異なる特徴は、「中産階級以下より候補者を多数出し」たことと、その運動の盛んであったこと、それに町内の中小零細商店主を中心とする「南茨青年同盟」推薦の同盟員が当選したことである。選挙は定員一八名に対して再出馬一三名、新顔一五名の立候補者二八名と「県下随一の激戦地と化し」た。新顔のうち菊池重作を含む社会大衆党から二名、常総鉄道従業員組合から一名、「其他無産者としての立場から数名」出た(『水海道新聞』昭和八年四月二〇日付)。「金権の輩」を批難するポスターが全町にはられたり「普段は喧嘩に勝ったシャモみたいに、大道狭しと横行闊歩するお歴々も選挙期間だけは出入の職人にさえペコ/\頭を下げて御機嫌をとる始末、裏店住居の清き一票の持主連この時とばかり肩で風切る威張り方は選挙が生んだ珍風景」(同前)の中で選挙戦が行われた。
 こうした無産層の大量の政治的顕在化は、大生争議の形勢がかわる直前の時期で、様々な無産運動が広がっていた動きを反映したものであった。結果としては社会大衆党の二人は僅差で共倒れ、常鉄組合の荒井直吉は当選した。