学校教育の変化

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明治四〇年(一九〇七)の義務教育年限の四年から六年への延長は、校舎の増設、教員の増加など多くの財政的負担増を不可避としたから、町村によっては様々な問題が起ったことは、前にもみたとおりである。しかし教育は国家が国民統合のため、具体的には一等国意識の高揚の手段として重視したことは勿論であったが、次第に国民の中に定着してきた面も見過すことが出来ない。それは不就学者が次第に少なくなり、また高等科の設置や実業補習学校の開設など、中等学校以外の小学校卒業後の教育への関心が高まってきたことにもあらわれていた。夜間の補習学校には、大正末期設立の青年訓練所のように徴兵年齢までの組織訓練を目的とした軍事教練的要素もあったが、大正八年からは女子部も設けられるなど、地域や青年の教育に対する要求が底流にあったことも事実である。
 こうした教育に対する国の要請や、地域の要求の変化をみるため、水海道小学校の「沿革誌」から、一例として大正八年における同校の動向をみておきたい(第四〇表)。
 
第40表 大正8年水海道小学校行事一覧
○1月8日(~3日間)本校児童成績品展覧会開会
○2月25日父兄懇談会開会
○2月26日大正8年度入学児童身体検査
○3月3日李太王殿下国葬ニ付休業
○3月4日休校全部新校ニ移転
○3月12日本県女子師範訓導浜口氏沢畠郡視学来校
○3月24日体操指導員宮田覚三氏来校
○ 同 日秋山藤左衛門氏ヨリ具足ノ寄贈
○3月25日卒業証書授与式挙行
○4月1日入学式挙行
○5月7日皇太子殿下御成年式ヲ挙行
○ 同 日御真影ヲ旧校舎ヨリ奉還ス
○6月5日校舎(216坪余)ノ三階建改築工事認可セラル
○6月20日女子師範校生15名訓導湯沢氏引率来校
○7月1日世界平和克復祝賀式挙行後旗行列ヲ行フ
○8月13日男子同窓会 14日女子同窓会開会
○9月15日八幡社 25日天神社例祭ニ付参拝
○10月22日高等男生鎌倉方面ニ修学旅行
○11月7日沢畠郡視学来校
○11月8日沢畠郡視学福元郡長来校
○11月13日本校児童運動会開催
○11月17日実業補習学校々則改正女子部設置,小学校ニ付設1件認可
○11月30日本郡教育会総会ヲ開催,講師井上哲次郎,峰間信吉
○12月1日沢畠郡視学,中沢郡書記来校
○12月2日中沢郡書記来校
○12月8日実業補習学校男子部 14日女子部授業開始
○12月10日本県師範生12名訓導青木氏引率来校


 
 第一次世界大戦によって、日本経済は思いがけない好況に転じ、農村部にも波及した。大正八年には戦争が終結し、七月には水海道でも「世界平和克復祝賀式」が行われ学校からも旗行列に参加した。
 皇室関係行事や神社参拝、さらに郡視学の来校が学校の重要行事として度々みられたのは、戦前期には日常的であったが、そうした行事の間に、いくつかの新しい傾向がみられる。
 同町においては、それ迄の校舎が次第に手狭まになり、また立地条件にも問題があり、明治四二年、九か月間の建設期間を経て、校舎の移転、新築が行われた。これは同町における教育熱の表われであったが、この頃から「全校児童学芸会」が、運動会に並ぶ年間行事となっていった。大正八年にはみられないが、この学芸会には父兄多数の参観があり活況を呈した。
 児童が中心の行事としては、全校の綴方や書き方、裁縫の作品展覧会が行われ、時には郡単位や、「実業の日本社」主催の展覧会への出品などがみられた。また高等科の修学旅行や運動会は毎年行われた。
 父兄懇談会なども行われ、郡教育会主催の講演会が開催され、家庭や教師の研修活動も重視されるようになった。
 この様に明治末期から大正期にかけては、学校教育の充実、地域全体が教育に寄せる関心が高められていった。こうした中で、大正期の新しい文化的活動等も花開いてくる。