農家の構成

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第一次大戦後から昭和初期にかけて、農業と農村をとりまく環境は大きく変化した。農家においては商品経済に深く組み込まれ、自給的な経済から、養蚕業をはじめとする種々の商業的農業を導入した。また系統農会においては、その土地に有利な農家副業の開発、奨励に努めた。
 当時における各村別の農家数と、その専、兼業別の構成を掲げると第四三表のとおりである。
 
第43表 町村別農家戸数及び専業兼業別戸数
  総戸数農  家  数総戸数に
対する農
家割合(%)
専 業兼 業合 計
菅原村大正14
昭和 5
  11
509
509
509
336
337
337
90
90
90
426
427
427
83.7
83.9
83.9
大花羽村大正14
昭和 5
  11
304
308
308
127
131
131
177
177
177
304
308
308
100.0
100.0
100.0
豊岡村大正14
昭和 5
  11
586
586
592
421
423
429
65
66
66
486
489
495
82.9
83.4
83.6
五箇村大正14
昭和 5
  11
494
493
485
287
289
275
121
133
133
408
422
408
82.6
85.6
84.1
三妻村大正14
昭和 5
  11
535
618
618
370
327
340
142
128
115
512
455
455
95.7
73.6
73.6
大生村大正14
昭和 5
  11
483
476
476
420
410
408
50
55
57
470
465
465
97.3
97.7
97.7
水海道町大正14
昭和 5
  11
1,040
1,345
1,670
136
136
136
28
30
30
164
166
166
15.8
12.3
9.9
菅生村大正14
昭和 5
  11
606
602
614
409
409
389
125
125
125
534
534
514
88.1
88.1
83.7
坂手村大正14
昭和 5
  11
324
325
324
280
279
280
44
46
37
324
325
317
100.0
97.0
97.8
内守谷村大正14
昭和 5
  11
250
257
262
174
176
176
76
76
78
250
252
254
100.0
98.1
96.9
『茨城県農業統計』(各年)より作成


 
 総戸数のうち農家数の比率は水海道町を除いて、いずれも八〇パーセント台を超えているが、中でも大花羽村や坂手村、内守谷村、大生村は九〇パーセントから一〇〇パーセントが農家であった。しかし菅原村、豊岡村、五箇村、昭和期に入っての三妻村などは村内に十数パーセントの非農家戸数を抱えている。
 つぎに専業、兼業の割合であるが、兼業とはいっても各村により統計の基準が不明確であり、村により報告にバラツキがあったと考えられる。しかし、非農家とは異なって、耕作する田畑を有しつつ、村内において商業や仲買い人、諸職人や雑業を営むか、また家族の中に公務員、会社員などを抱えていたものを指していると思われる。一例として豊岡村の場合を同村における明治四二年の「業務別戸数」からみてみよう(第四四表)。
 
第44表 豊岡村業務別戸数(明治42年)
 専 業兼   業
本 業副 業
農   業28312560
工   業251634
商   業473241
漁   業123
力   役12941
銀行会社員
官公吏及自由業1257
其 の 他5410
385192196
無   職2
合   計387192196
「豊岡村是」より作成


 
 これによると専業、兼業の内容が第四三表とかなり異なっており、村内における多様な職業の構成をみることが出来る。とくに農業を本業としつつも、工業、商業、漁業、力役、官公吏等を副業として兼ねる者の数がかなり高く(一二五戸)、これを専業農家数(二八三戸)に加えると(四〇八戸)、先にみた表の専業、兼業別農家数の専業農家数に近くなってくる。